案内人ブログ】No.18(2018年9月)

出会いが楽しい

  

今年4月から案内人になりました、若葉マークの案内人です。

3年間、森下辰衛先生の講義を受け出席日数だけで受かりました。案内をする覚悟を決めてから、綾子さんの誕生日、命日など必死に覚えました。現在、仕事もしているので月1回くらいしかできませんが、お盆休みの時、沢山の来館者にお会いしました。

その中に「愛知県から来ました」と言う男性がいらっしゃったのです。「『海嶺』の知多半島に去年行ってきました」と言うと、「本に出てくる者の子孫です」とのこと……!

音吉の妹「さと」の関係者でした。案内人をするようになって、日本全国、韓国、中国からも来て頂いていることに、改めて三浦綾子さんの偉大さを感じました。

by三浦文学案内人 藤田眞智子

 

★『海嶺』  1978年10月~1980年10月 週刊朝日連載、1981年4月 朝日新聞社より刊行。現在は、角川文庫 上・中・下で販売中
江戸後期、遭難した漁師・音吉たちは奇跡的に北アメリカに漂着するが、マカハ族に捕らえられ、奴隷にされてしまう。逆境の中、諦めることなく、希望を持って生き抜く男たちを描いた感動の時代巨編。
綾子は連載終盤に帯状疱疹(ヘルペス)にかかり、1980年4月入院し、5月30日~8月15日まで休載した。

【案内人ブログ】No.17(2018年8月)

「いいこと、ありますように」

皆さんは、北海道新聞の7月15日(日)28面をご覧になりましたか?

『泥流地帯』映画化朗読で後押しのタイトル記事です。

 

上富良野高校の学校祭で、生徒5人が『いいことありますように』の朗読劇45分間を午前と午後の2回上演しました。

私は午後1時からの回を見ましたが……

スゴイ!! 君たちプロかい?

45分……出ずっぱり!教師役の2年生は、台本をほとんど見ず、他の高校生役も自然体でした(あたりまえ!)。

後から聞くと、午前中の失敗をチェックしたとか!!

三浦文学館の難波事務局長から台本を渡されてまだ一ヶ月もたっていない!高校生のパワーってすごい!!

そして「富良野GROUP」の女優、森上千絵さんの指導!本格的すぎだよ!!

朗読中に涙をふいている方も多数(もちろん、その中の1人は私です)いらっしゃって、感動しました。お昼をたべるヒマなく行った甲斐がありました。ありがとう!!

by三浦文学案内人  近藤弘子

【案内人ブログ】No.16(2018年7月)

増田明美さんといっしょに歩く「氷点」の舞台見本林ウオークから思うこと

6月9日(土)、マラソンランナーの増田明美さんが外国樹種見本林(以下「見本林」という)の中にある三浦綾子記念文学館(以下「文学館」という)に来た。
文学館開館20周年記念行事として「増田明美さんといっしょに歩く、『氷点』の舞台・見本林ウォーク」が開催されたのだ。増田さんは、三浦文学のファンで文学館が開館した20年前にも来ていたという。増田さんは文学館で記念の集合写真をとり短いお話をした後、1時間、ウオーキング参加者70名と談笑しながら初夏の清々しい見本林の中を散策した。

三浦綾子の小説『氷点』ではこの見本林の松林のすぐ傍らに、主人公の家、和、洋館からなる辻口病院長邸が、ひっそりと建っていた。この家で成長した陽子は見本林の中のストローブマツの切り株に座って『嵐が丘』を読んでいて、後に恋人になる北原邦雄と出会った。母・夏枝に、辻口夫婦の長女ルリ子を殺した犯人の娘だと言われた陽子は、見本林の中の堤防を越えた川原を死に場所に選び、睡眠薬を飲んで雪の上に横たわった等々、見本林は『氷点』の舞台になっている。(文学館には詳細な見本林マップがある)

見本林は旭川の気候のもとでストローブマツやヨーロッパカラマツといった外国樹種がどのように育つかを調べるため、1898年(明治31年)、明治政府が苗木の植栽を始めた。ちょうど100年後の1998年、その見本林の中に文学館が建てられた。

私は、今回のウォーキングで、かって三浦綾子もどんな思いで見本林を歩いたか、また三浦綾子と見本林の関わりについて思った。そこで少しわかったのは、三浦綾子がこの見本林を訪れた時の名状し難い感動がなければ、この小説『氷点』を書くことがなかったのではないか。見本林は、三浦綾子にとって特別な場所ではないかということである。見本林の中にある文学館は今年、開館20周年。今年9月には、三浦綾子がたくさんの作品をつくつた書斎が新たに文学館の隣に移ってくることで、三浦綾子と見本林の関係はいっそう深まるであろう。

この見本林を三浦夫婦が二人で初めて訪れたのは、結婚2年目の6月である。三浦綾子はその時のことを次のように書いている。
「林に着くと丈高いストローブマツが風に揺れ、その梢が天をかきまわすようにうごめいていた。林の中の道を通って、堤防に上ったわたしは、その向こうにまた、うっそうと繁る暗いドイツトーヒの林が続くのを見た」(この土の器をも)
その林に一歩足を踏み入れた時、三浦綾子は、
「名状し難い感動に襲われた。暗い林の中に、光が縞目をつくって斜めに射し、その縞目もおぼろな彼方に、光が煙のように漂っていた」(この土の器をも)
その時の印象が、あまりに強烈であったため、三浦綾子は小説の筋が決まると、ここを舞台に決めたのである。そして昼となく夜となく何度も見本林を訪れて、小説『氷点』を書いた。

by三浦文学案内人  山崎健一

【案内人ブログ】No.15(2018年6月)

旭川市神楽の外国樹種見本林(国有林)の中に立つ三浦綾子記念文学館は、6月13日で20周年を迎えます。

20周年行事の一環として、今年新たに朗読劇団「くるみの樹」が発足し、旗揚げ公演が5月19日に文学館で上演されました。

同劇団はボランティアで構成され、館内をご案内しながら三浦文学について紹介する「三浦文学案内人」と三浦文学を朗読してその魅力を伝える「綾の会」それぞれの有志20名強です。

昨年まで「ミニシアター」という朗読と作品解説を織り交ぜる形で三浦文学を紹介してきましたが、もっと三浦文学の魅力をたくさんの方に伝えたいということで、田中綾館長を団長として、結成されました。

上演した朗読劇は、綾子さんの小説『泥流地帯』『続泥流地帯』が題材で、「十勝岳を仰ぐ町・復興への軌跡」というタイトルです。

1926(大正15年)5月24日の十勝岳噴火から92年の歳月が経ちました。この噴火では山津波(火山泥流)が発生し、144名の尊い命が奪われました。この噴火による泥流災害とそれに屈しなかった健気な人々の力強さと復興を描いています。

「綾の会」中辻さんの15場面にわたっての細やかな演出、出演者の役に対する思い入れと迫力ある朗読、ナレーションやナビゲーターの重要性……。スクリーンに映し出される十勝岳からリアルにいろいろな場面が想像でき、今目の前に泥流が流れてくるような緊迫感がありました。

長い物語を90分程度にまとめて、ストーリーがすべてつながり、臨場感いっぱいでした。朗読の持つ力、それを表現してくれる演者の皆様のすばらしさに、一同感動の渦でした。それぞれ感じ方は違うでしょうが、目頭を押さえる方もたくさんいらっしゃいました。

昨今、国内外でいろいろな災害が発生していてとても不安になります。我々は自然災害にはどうすることもできないのですね!でも上富良野町のように、人々の決意と愛と情熱で復興へ進むことができるのではないでしょうか。挫折を経験し長い闘病生活をして三浦綾子さんならではの人生観が込められている作品ではないかと思います。苦難は苦難だけに終わることがなく、忍耐を産み、人格を磨き上げ希望を生む。希望は失望に終わることがないというメッセージ。苦難の答えは、92年を経て上富良野の人々の中に息づいています。

第二弾は7月21日(土)を予定しています。ぜひ文学館へお越しください。一同お待ちしています♪

by 三浦文学案内人 佐々木信子

【案内人ブログ】No.14(2018年5月) 

三浦綾子記念文学館 常設展示 リニューアルオープン

三浦綾子記念文学館(以下、「文学館」という)がオープンしたのは1998年(平成10年)6月13日、綾子さんが亡くなる1年4ヶ月前でした。『氷点』の舞台となった外国樹種見本林が開設されて100年という、大きな節目の年でもありました。国有林の中に建物を創ることは、想像を超えた大変なご苦労があったものと思われます。爾来20年、2018年(平成30年)4月6日、文学館1階常設展示がリニューアルオープンしました。開館10周年に一度リニューアルしたと聞いていますので、今般二度目のリニューアルとなりました。総じて、広く明るくなった感じがいたします。入館者の反応も上々です。

1階のテーマは「触れる」、2階のテーマは「開く」です。9月に建つ分館のテーマは「感じる」です。また、今回のリニューアルは五感展示が特徴的で、触れたり、取り出したり、聞いたりできる仕掛けが施されています。これらの試みは斬新でユニーク、入館者は思わず展示に引き込まれることでしょう。では、順を追って館内を巡ることとします。

第1展示室

綾子さんの人生が一目でわかるように、「知恵の木」をグラフィック化してさまざまな出来事が掲出されています。所々に丸い穴が開いており、そこから写真アルバムや「井伊大老について」の作文コピー、交流誌「いちじく」、『氷点』入選発表記事が顔を覗かせています。せっかくの機会ですから、ぜひ手に取ってご覧いただきたいと思います。

第2展示室

綾子さんの作家活動を4期に分けて、パネルで紹介されています。「Ⅰ 作家・三浦綾子の出発期」、「Ⅱ 歴史上の人物を描く」、「Ⅲ 病と闘いながら」、「Ⅳ 綾子の遺言」となっており、それぞれに解説が加えられています。

代表作『氷点』『塩狩峠』『母』、そして集大成と言われている『銃口』。これらは三浦綾子文学ファン必読の書であります。また、向かい側の壁には執筆時や取材時の様子がプロジェクターで放映されています。

第3展示室

稀代のストーリーテラーと呼ばれた綾子さんの名言や名セリフが種々吊り下げられており、手に触れて読み親しむことができます。これはほんの一部であって、適時新しいものと交換されます。また、綾子さん・光世さんへの一言メッセージを書いもらい、それをボードに貼りつけて一定期間公開、年2回大賞を発表するコンテストがあります。皆様こぞって応募してください。

第4展示室

テーマ「生きるをつなぐ」と題して、小説『泥流地帯』『続泥流地帯』の特別展示を開催しています。パネルには小説のあらすじや登場人物、開拓者の暮らし、苦難・復興の姿が描かれています。展示ケースには小説の下書き原稿や取材ノート、関連資料等々が所狭しと並べられています。また、NPO法人「環境ボランティア野山人」提供による土層見本もしっかりと展示されています。

1926年(大正15年)十勝岳の大正噴火から92年、地元上富良野町では『泥流地帯』の映画化に積極的に取り組んでいます。これが実現すると、昨年の『母』に続く北海道発の劇場公開映画となります。皆さんと応援していきたいと思います。

第5展示室

ここは従来と同じですが、彫刻家佐藤忠良作の綾子さん顔像が壁面の献辞コーナーの手前に移設されました。「愛は忍ぶ」という綾子さんが書いた色紙も展示ケース中央に収まっています。ちなみに、映画『塩狩峠』に出演したふじ子役の佐藤オリエさんは彫刻家佐藤忠良さんの長女です。受難現場で線路にガバと打ち伏したふじ子の姿がありありと想い出されます。

……塩狩峠は、雲ひとつない明るい真昼だった。

視聴覚室・図書室

こちらでは映像化された作品や綾子さんの出演番組など100本以上の映像を2台のモニターで自由に見ることができます。したがって、館内の滞在時間が長引くことは必至です。お疲れの際には、1階の喫茶コーナーで一服なさるのも妙案でしょう。また、天気がよければ見本林散策をおすすめします。時間に余裕を持っておいでください。

以上で館内の様子をかいつまんでお知らせしました。9月末には文学館の隣に分館がオープンいたします。書斎の移転・復元がメインです。

なお、開館20周年を記念し今般エッセイ集『一日の苦労は、その日だけで十分です』及び『信じ合う 支え合う 三浦綾子・光世エッセイ集』が新規出版されました。併せてご了知ください。三浦文学案内人一同、皆様のご来館をお待ちしております。どうぞお気軽にお声を掛けてください。

by 三浦文学案内人 森敏雄

【案内人ブログ】No.13(2018年4月)

〇上富良野高等学校で朗読

            三浦文学案内人 山谷京子

今回初めて上富良野高等学校にて『泥流地帯』を朗読することになりました。

お昼頃、朗読のメンバー6人で文学館を出発。道路は雪もなく、ちょっとしたドライブ♪

1時間ほどで高校に到着。早速、今回の朗読場所、体育館のステージにマイクなどセッティグ。セッティング終了後、ラベンダー薫る校長室にて田端校長先生とお話をする時間があり、現在『泥流地帯』の映画化が進んでいることなど興味深いお話が聞けました。

さて、朗読本番。

6人で『泥流地帯』のそれぞれの人物になりきり熱演しました。『泥流地帯』の情景が伝わっていると嬉しいでのですが……。朗読終了後、生徒たちに質問をしました。

「『泥流地帯』を読んだ人は?」

と、1人の手が上がりました。読んだことのある生徒がいてとても嬉しかったです!

これからもっともっと広めていかないと。気長に待ちましょうと期待しつつ高校を後にしました。

 

 

【案内人ブログ】No.12(2018年3月)

2回目のブログ担当をします 今中です。
昨年、案内人ブログ第1号に、塩狩峠記念館にて 映画「母」の撮影に行った時のことを書かせていただきました。

3月の担当になった時、すぐに頭に浮かんだのは、やはり塩狩峠記念館の事です。
なぜならば、三浦綾子の『塩狩峠』のモデルとなった長野政雄さんの命日が、2月28日なのです。明治42年2月28日から、今年で109年目になります。

塩狩峠記念館の開館は、4月1日~11月30日(月曜休館)ですが、2月28日だけは特別に開館されます。
今年はすご~い豪雪につき、ちょっと早めの2月26日(月)の昼間にまず行ってきました。
屋根の雪下ろしや、道路の除雪など、和寒町役場をはじめとする関係者が準備に忙しくしていました。ご苦労様です!

その後、28日の午前中に2階の綾子さんが実際に着ていたドレスなどを見学しました。
外では長野政雄顕彰碑の所にたくさんの人がいました。読書会の皆さんで、そこに図々しく合流させていただき、地方から来た方などともお話ができて良かったです。

夜のアイスキャンドルは、昼間とは違う雰囲気です。
今年は250個以上のアイスキャンドルが灯されていました。

20180228

毎年、埼玉からボランティアに来るという男性が、灯りが消えそうになると新しく取り替えていました。
今年、初めて参加の人もおり、「三浦綾子さんは旭川の人なのに、なぜ塩狩峠に家があるのか?」、「今の豊岡の家は『氷点』の賞金で建てたのか?」「亡くなって、その家をどうするのか?」など、色々と質問されたので、思わず知っている事を全部説明しました。

その後、

「あまり読んでいないので本の事などを聞くと読みたくなりました。」

と言ってくださいました。
そして、

「三浦綾子記念文学館に行った事がないので、必ず行きます」

と言ってくれました。

長野さんの命日に塩狩峠に行き、色々な人達と出会い、嬉しく思いました。
長野さんの人柄のすばらしさを改めて感じ、改めて案内人をしていて良かったと感じました。

お話を伺った、参加者の皆様、和寒町役場の方、塩狩ヒュッテの方、皆様ありがとうございました!

【案内人ブログ】No.11(2018年2月)

〇案内人をして思うこと

            三浦文学案内人 山崎健一

 

三浦文学案内人講座を修了して、三浦文学案内人に委嘱されて、案内人をしてきました。
案内人同士のシフトを組んで文学館で待機し、来訪される方に案内の希望をお聞きして案内する場合や、文学館から、電話やインターネット等で案内希望の予約を受けて、その時間に合わせて文学館に出かけて案内をする場合もあります。

三浦綾子は小説を1964年(昭和39年)の「氷点」から「銃口」まで30年間、書きつづけました。そして1999年(平成11年)三浦綾子は亡くなり、亡くなってから現在まで18年たちました。三浦綾子の小説や作品は書かれてから短くても18年、あるいは初期のものでは50年以上経っています。

案内人として、その作品や三浦綾子という作家の人柄などをどこまで、どうお伝えするかは、私にはとてもむずかしいのです。

 

小説「氷点」の物語の辻口啓造と妻の夏枝、主人公陽子らが暮らす家は、外国樹種見本林 (「見本林」ともいう) の入口の丈高いストローブ松の林の庭つづきにありました。

旭川に来て、三浦綾子がその林に一歩足を踏み入れた時、名状し難い感動に襲われた*1という見本林の中を歩いて木の香りがふり注いでくるのを体感して、「氷点」の世界の一端がよくわかりましたと言われる方もあります。

同感です。

(文学館もまた見本林の中に建っています)

その一方、三浦綾子は「氷点」を書きながら、人間の社会はなぜこんなにも幸福になりにくいのかを考え、罪の問題につき当たった。そして、書きすすめるのがむずかしくなった時、三浦綾子は、旭川六条教会の川谷威郎牧師の説教が、どれほど支えになり、また示唆を与えられたか計りしれない*2

と書いています。

ルリ子を殺した犯人の子という冷酷な運命を知らされて、主人公陽子は人間の中に流れる汚れた血に気づく。自分一人さえ正しければと思って生きて来た誤りに気づく。罪にめざめ、原罪を意識し、自殺しようとした。

三浦綾子はこの原罪に対する意識を書くために、「氷点」を書いた。その意図するところを、受け取ってくれた人もあるし、そうでない方もある。陽子の遺書を書く前の心理をもっと描写すべきであったかと思う。*3

と書いています。

三浦綾子は、「氷点」で原罪を訴え得ただろうか。陽子の遺書を書く前の心理をもっと描写すべきであったかと書いています。私自身が三浦綾子の意図をほんとうに理解できているかどうかわかりませんが、「三浦綾子は小説『氷点』で原罪に対する意識を書いています」と言うくらいまでは案内できるかもしれません。しかし、それ以上に「原罪」とか「原罪に対する意識」についてお伝えするのはむずかしいのです。

もちろん、辞書をひらけば「原罪」とか「意識」の説明を読むことができますが、さらにそれに加えて、辻口家の夫婦、親子、兄妹の人間関係、それぞれの感情、性格・行動等の理解が出来ていなければならないし、それ以上に、川谷威郎牧師の説教に支えられ、示唆を与えられ、三浦綾子が、生みの苦しみを持って書いたであろう罪の問題についてほんとうに理解したと言う自信がありません。

 

 

三浦綾子は汽車で上富良野を通過したとき、「続泥流地帯」のラストシーンを思い出した。登場人物の深城節子が深雪楼から曽山福子を連れ出して旭川に逃げていくのに乗った汽車が、汽笛をならしてもくもくと黒煙を上げて、主人公の石村拓一と耕作兄弟が稲刈りをしているところに近づいて来た。耕作は息をつめて汽車を見た。

三浦綾子は、「続泥流地帯」の小説の一文を思い出しながら、「何だか、ほんとに耕作が立っているような気がするわね」と同行の夫の光世さんに言った。そして「あ、そこよ! 耕作の家は!」といって持っていた白いハンケチをふった。小説では、福子が逃げ出すことができたら、白いハンカチをふる約束だったのだ。

小説と現実が、三浦綾子の胸のうちで一つになった。とうに終わったはずの小説が、再びよみがえる。50年前の出来事が現在のことに思われる。「続、泥流地帯」は、そのような小説なのである。*4

 

三浦綾子にとって続泥流地帯は、小説と現実が一つなり、その境がないだけでなく、過去と現在の境もないように思われます。

三浦綾子が感動を持って書いた小説が、色あせないでいつまでも読まれ続ける理由がここにあるように思われます。

 

 

*1 この土の器をも 28

*2 この土の器をも 31

*3 ごめんなさいといえる「著者から読者へ-新刊書しょうかい氷点-」

*4 ごめんなさいといえる「汽車の窓から」

 

【案内人ブログ】No.10(2018年1月)

大雪山の「価値」を知り「活かす」ためのフォーラムを傍聴して

三浦文学案内人 森 敏雄

師走も半ばを過ぎた12月17日、大雪山国立公園の玄関口である東川町の文化芸術交流センターで標記フォーラムが開催された。主催はひがしかわ観光協会であった。案内チラシをみると、三浦文学館の難波事務局長が「三浦文学と大雪山」というテーマで事例発表することが載っていた。早速旧友を誘ってこれを傍聴してきた。その模様を以下にお知らせしたいと思う。

冒頭環境省の奥田課長による基調講演では、「大雪山国立公園」は「国立公園」群の代表格であり、この自然景観を「活かす」のは地元の人々の参画と連携が重要!といった基本的核心のほか、世界遺産や日本遺産についてのレクチャーがあった。事例発表では、①「大雪山カムイミンタラ事業+上川アイヌ」日本遺産構想、②「三浦文学と大雪山」関連情報、がそれぞれ発表された。最後に、北大大学院准教授愛甲コーディーネーターを中心とした奥田・井上・難波パネリストによるディスカッションが行われた。

さて、注目の難波事務局長が発表したテーマ「三浦文学と大雪山」の要旨は以下のとおりだ。

三浦文学の代表作『氷点』では陽子と徹が層雲峡の旅館に宿泊する場面が出て来る。アイヌの火まつり見学後、宿に帰ると布団が二つ敷いてあり、この場所で陽子は、小4の時、もらわれて来たことを知ったと徹に語る。
また、現在、三浦綾子記念文学館第4展示室で開催中の「三浦綾子サスペンス 層雲峡・天人峡に燃ゆ」関連の作品、『積木の箱』『雨はあした晴れるだろう』『残像』『毒麦の季』『自我の構図』『果て遠き丘』などが次々と紹介された。
三浦夫妻の新婚旅行地は層雲峡であり、三浦綾子は旭川の地にあって大雪山とともにあった。

エッセイ『丘の上の邂逅』には、

「・・・白金温泉へ向かう途中の、あの両側に延々とつづく白樺の林・・・」
「・・・勇駒別からの旭岳もまたすばらしい。秋にここに来ると、空気が澄んでいて、あの北の日本海に浮かぶ利尻富士がはるかに展望できるという。・・・」
「大雪山に上って眺めるのもいいが、旭川から眺める大雪山がまたいい」

というような描写がでてくる。
『死ぬという大切な仕事』という光世さんのエッセイからは、99年7月11日が三浦綾子最後のドライブとなり、大雪山や十勝岳の自然美を心から称えていたということがよく分かる。
『泥流地帯』『続泥流地帯』の舞台は十勝岳。この小説は「ふるさと」に思いを寄せることの重要性が熱く語られている。

難波事務局長の発表でとりわけインパクトがあったのは、「山には“時”がある』というメッセージであった。
山に相対すると、時間を忘れる。
ゆったりした流れの中に身を置くことができる。
人生の意味を見出す場でもある。
言い得て妙であった。
時間を費やして登頂、そして下山する。読書もまた時間が必要である。時間を費やして読了、そして大きな感動がある。
登山が大の苦手という難波事務局長の指摘は正鵠を得ている。自然と文化の営みは循環する。

ところで、出席者は「三浦文学と大雪山」の発表をどのように聴いたのだろうか?
「三浦文学や三浦文学館に親近感を持つことができた」
「旭川圏の入館者が少ないという話だったが、こういった場で三浦文学をPRすることは大きな意義がある」
などと好意的であった。
それとは別に、「ともかく会場が寒かった。うわの空で話を聞いていた。」という声があり、確かに会場は寒かった。話はそれるが、その寒さから私は、『銃口』で竜太が大正天皇の御大葬の日“足が冷たかった”という綴り方を書き、河地先生に殴られ、書き直しをさせられた一件をふと思い出していた。

大雪山の「価値」を知り「活かす」という取り組みは、三浦文学の「価値」を知り「活かす」取り組みと軌を一にする。同様に「旭山動物園」「買物公園」「優佳良織」「写真甲子園」「十勝岳」など、旭川と近隣市町村の「価値」を知り「活かす」取り組みにつながるものである。これらの資源を一本化することによって、旭川圏の一層の活性化が図られるのではないか、そんなことを感じた有意義なフォーラムであった。

(参考)大雪山は、独立峰ではなく北海道の最高峰「旭岳」を主峰とする山群である。大雪山は、昭和9年12月4日「国立公園」に指定された。温泉も多い。

【案内人ブログ】No.9(2017年12月)

こんにちわ。
三浦文学案内人の村椿です。

さて、今回は、11月29日に富良野演劇工房にて開催された、ワークショップをレポートしたいと思います。

まず、
「ワークショップに参加しませんか?」
と、誘われて、私は「?何を売るの??」。
「とりあえず、参加してみよっと!」と、軽いノリで、
誰が一緒なのかわからない、ミステリーツアーへ(笑)の参加を決めた。

当日、13分前に着いたつもりが・・・「遅いよ!」と仲間が飛び出してくる。
どうも時間を勘違いしていたよう。
すぐに出発し、先行車にレストランで無事合流でき、ほっとした。

以前、一度だけ鑑賞した演劇。
この日は、300席ある中の会場ではなく、階段の突き当りにあるスペースに、マイクとスクリーンが準備されており、観客席用に椅子が50脚程出ていた。

文学館で上演されている朗読ライブミニシアターの内、『泥流地帯』のワンシーンを、富良野グループの久保さんと森上さんが朗読してくれるそう。
売店には、倉本聰さんの本や、上富良野の後藤純男美術館の絵ハガキ等が並んでいた。もちろん、綾子さんの本や便箋も!!
席は満席だった。

難波さんの解説が、いつにもましてなめらかにスタート。
演劇工房のお二人は、やはりプロ。
拓一と耕作が、泥流にのみこまれる部分で叫ぶシーンも、お腹の底からしっかりと叫んでいる。それなのに、マイクでの声も割れていない。
役になりきって、一つ一つの台詞に心を寄せているのが分かる。
スクリーンに映し出された写真と解説と、そして二人の台詞がひとつになって、
聞いている私たちのそれぞれの心の中に入ってくる。
台詞と台詞の行間を自分の想像力で埋めていく。
その台詞が生きて言葉になっていく。

さて、休憩の後はワークショップ。
(体験ってことなのね(^^)b)
めったにないチャンス。やってみたいけど、恥ずかしい。
(そんないつもブレブレの私デス。。。)
今回の挑戦は、福子役。
耕作役には、朗読ボランティアのNさんが。
(緊張して、観客は見えないし、見られない・・・)
『泥流地帯』のどこのシーンだったか思い出しながら、私なりに「福子」になりきった。

一通り終わった後で、演劇工房の久保さんから演技指導。
「すばらしい!すばらしいけど、今度はこうしてみて!」
そんなことを2~3度繰り返しただろうか。

「??褒められてるの?要望のレベルが高すぎるんでないの?
私は普通のオバサンだよ。私にできることは、想像の羽を広げる事。
想像して・・・想像して・・・。」

そんなふうに自分自身に言い聞かせる。
耕作役のNさんも、久保さんの指示に応えて、同じ台詞に自分の感情を加えて自分の言葉に変えていく。
この言葉(ボール)を受け取って返さなければ・・・。

早口になるのは、チャンと呼吸していないから。
苦しくなって一気に喋ってしまうのだから、しっかり呼吸をしなさい。
ゆっくり。もっとゆっくり。

かつで、ブログ3号に、「舞台女優になりきって」と案内人が書いていたが、
まさにそうだった。
10分間。私は、Nさん(耕作役)と幼馴染になった。