【案内人ブログ】No.14(2018年5月) 

三浦綾子記念文学館 常設展示 リニューアルオープン

三浦綾子記念文学館(以下、「文学館」という)がオープンしたのは1998年(平成10年)6月13日、綾子さんが亡くなる1年4ヶ月前でした。『氷点』の舞台となった外国樹種見本林が開設されて100年という、大きな節目の年でもありました。国有林の中に建物を創ることは、想像を超えた大変なご苦労があったものと思われます。爾来20年、2018年(平成30年)4月6日、文学館1階常設展示がリニューアルオープンしました。開館10周年に一度リニューアルしたと聞いていますので、今般二度目のリニューアルとなりました。総じて、広く明るくなった感じがいたします。入館者の反応も上々です。

1階のテーマは「触れる」、2階のテーマは「開く」です。9月に建つ分館のテーマは「感じる」です。また、今回のリニューアルは五感展示が特徴的で、触れたり、取り出したり、聞いたりできる仕掛けが施されています。これらの試みは斬新でユニーク、入館者は思わず展示に引き込まれることでしょう。では、順を追って館内を巡ることとします。

第1展示室

綾子さんの人生が一目でわかるように、「知恵の木」をグラフィック化してさまざまな出来事が掲出されています。所々に丸い穴が開いており、そこから写真アルバムや「井伊大老について」の作文コピー、交流誌「いちじく」、『氷点』入選発表記事が顔を覗かせています。せっかくの機会ですから、ぜひ手に取ってご覧いただきたいと思います。

第2展示室

綾子さんの作家活動を4期に分けて、パネルで紹介されています。「Ⅰ 作家・三浦綾子の出発期」、「Ⅱ 歴史上の人物を描く」、「Ⅲ 病と闘いながら」、「Ⅳ 綾子の遺言」となっており、それぞれに解説が加えられています。

代表作『氷点』『塩狩峠』『母』、そして集大成と言われている『銃口』。これらは三浦綾子文学ファン必読の書であります。また、向かい側の壁には執筆時や取材時の様子がプロジェクターで放映されています。

第3展示室

稀代のストーリーテラーと呼ばれた綾子さんの名言や名セリフが種々吊り下げられており、手に触れて読み親しむことができます。これはほんの一部であって、適時新しいものと交換されます。また、綾子さん・光世さんへの一言メッセージを書いもらい、それをボードに貼りつけて一定期間公開、年2回大賞を発表するコンテストがあります。皆様こぞって応募してください。

第4展示室

テーマ「生きるをつなぐ」と題して、小説『泥流地帯』『続泥流地帯』の特別展示を開催しています。パネルには小説のあらすじや登場人物、開拓者の暮らし、苦難・復興の姿が描かれています。展示ケースには小説の下書き原稿や取材ノート、関連資料等々が所狭しと並べられています。また、NPO法人「環境ボランティア野山人」提供による土層見本もしっかりと展示されています。

1926年(大正15年)十勝岳の大正噴火から92年、地元上富良野町では『泥流地帯』の映画化に積極的に取り組んでいます。これが実現すると、昨年の『母』に続く北海道発の劇場公開映画となります。皆さんと応援していきたいと思います。

第5展示室

ここは従来と同じですが、彫刻家佐藤忠良作の綾子さん顔像が壁面の献辞コーナーの手前に移設されました。「愛は忍ぶ」という綾子さんが書いた色紙も展示ケース中央に収まっています。ちなみに、映画『塩狩峠』に出演したふじ子役の佐藤オリエさんは彫刻家佐藤忠良さんの長女です。受難現場で線路にガバと打ち伏したふじ子の姿がありありと想い出されます。

……塩狩峠は、雲ひとつない明るい真昼だった。

視聴覚室・図書室

こちらでは映像化された作品や綾子さんの出演番組など100本以上の映像を2台のモニターで自由に見ることができます。したがって、館内の滞在時間が長引くことは必至です。お疲れの際には、1階の喫茶コーナーで一服なさるのも妙案でしょう。また、天気がよければ見本林散策をおすすめします。時間に余裕を持っておいでください。

以上で館内の様子をかいつまんでお知らせしました。9月末には文学館の隣に分館がオープンいたします。書斎の移転・復元がメインです。

なお、開館20周年を記念し今般エッセイ集『一日の苦労は、その日だけで十分です』及び『信じ合う 支え合う 三浦綾子・光世エッセイ集』が新規出版されました。併せてご了知ください。三浦文学案内人一同、皆様のご来館をお待ちしております。どうぞお気軽にお声を掛けてください。

by 三浦文学案内人 森敏雄

【案内人ブログ】No.13(2018年4月)

〇上富良野高等学校で朗読

            三浦文学案内人 山谷京子

今回初めて上富良野高等学校にて『泥流地帯』を朗読することになりました。

お昼頃、朗読のメンバー6人で文学館を出発。道路は雪もなく、ちょっとしたドライブ♪

1時間ほどで高校に到着。早速、今回の朗読場所、体育館のステージにマイクなどセッティグ。セッティング終了後、ラベンダー薫る校長室にて田端校長先生とお話をする時間があり、現在『泥流地帯』の映画化が進んでいることなど興味深いお話が聞けました。

さて、朗読本番。

6人で『泥流地帯』のそれぞれの人物になりきり熱演しました。『泥流地帯』の情景が伝わっていると嬉しいでのですが……。朗読終了後、生徒たちに質問をしました。

「『泥流地帯』を読んだ人は?」

と、1人の手が上がりました。読んだことのある生徒がいてとても嬉しかったです!

これからもっともっと広めていかないと。気長に待ちましょうと期待しつつ高校を後にしました。

 

 

【案内人ブログ】No.12(2018年3月)

2回目のブログ担当をします 今中です。
昨年、案内人ブログ第1号に、塩狩峠記念館にて 映画「母」の撮影に行った時のことを書かせていただきました。

3月の担当になった時、すぐに頭に浮かんだのは、やはり塩狩峠記念館の事です。
なぜならば、三浦綾子の『塩狩峠』のモデルとなった長野政雄さんの命日が、2月28日なのです。明治42年2月28日から、今年で109年目になります。

塩狩峠記念館の開館は、4月1日~11月30日(月曜休館)ですが、2月28日だけは特別に開館されます。
今年はすご~い豪雪につき、ちょっと早めの2月26日(月)の昼間にまず行ってきました。
屋根の雪下ろしや、道路の除雪など、和寒町役場をはじめとする関係者が準備に忙しくしていました。ご苦労様です!

その後、28日の午前中に2階の綾子さんが実際に着ていたドレスなどを見学しました。
外では長野政雄顕彰碑の所にたくさんの人がいました。読書会の皆さんで、そこに図々しく合流させていただき、地方から来た方などともお話ができて良かったです。

夜のアイスキャンドルは、昼間とは違う雰囲気です。
今年は250個以上のアイスキャンドルが灯されていました。

20180228

毎年、埼玉からボランティアに来るという男性が、灯りが消えそうになると新しく取り替えていました。
今年、初めて参加の人もおり、「三浦綾子さんは旭川の人なのに、なぜ塩狩峠に家があるのか?」、「今の豊岡の家は『氷点』の賞金で建てたのか?」「亡くなって、その家をどうするのか?」など、色々と質問されたので、思わず知っている事を全部説明しました。

その後、

「あまり読んでいないので本の事などを聞くと読みたくなりました。」

と言ってくださいました。
そして、

「三浦綾子記念文学館に行った事がないので、必ず行きます」

と言ってくれました。

長野さんの命日に塩狩峠に行き、色々な人達と出会い、嬉しく思いました。
長野さんの人柄のすばらしさを改めて感じ、改めて案内人をしていて良かったと感じました。

お話を伺った、参加者の皆様、和寒町役場の方、塩狩ヒュッテの方、皆様ありがとうございました!

【案内人ブログ】No.11(2018年2月)

〇案内人をして思うこと

            三浦文学案内人 山崎健一

 

三浦文学案内人講座を修了して、三浦文学案内人に委嘱されて、案内人をしてきました。
案内人同士のシフトを組んで文学館で待機し、来訪される方に案内の希望をお聞きして案内する場合や、文学館から、電話やインターネット等で案内希望の予約を受けて、その時間に合わせて文学館に出かけて案内をする場合もあります。

三浦綾子は小説を1964年(昭和39年)の「氷点」から「銃口」まで30年間、書きつづけました。そして1999年(平成11年)三浦綾子は亡くなり、亡くなってから現在まで18年たちました。三浦綾子の小説や作品は書かれてから短くても18年、あるいは初期のものでは50年以上経っています。

案内人として、その作品や三浦綾子という作家の人柄などをどこまで、どうお伝えするかは、私にはとてもむずかしいのです。

 

小説「氷点」の物語の辻口啓造と妻の夏枝、主人公陽子らが暮らす家は、外国樹種見本林 (「見本林」ともいう) の入口の丈高いストローブ松の林の庭つづきにありました。

旭川に来て、三浦綾子がその林に一歩足を踏み入れた時、名状し難い感動に襲われた*1という見本林の中を歩いて木の香りがふり注いでくるのを体感して、「氷点」の世界の一端がよくわかりましたと言われる方もあります。

同感です。

(文学館もまた見本林の中に建っています)

その一方、三浦綾子は「氷点」を書きながら、人間の社会はなぜこんなにも幸福になりにくいのかを考え、罪の問題につき当たった。そして、書きすすめるのがむずかしくなった時、三浦綾子は、旭川六条教会の川谷威郎牧師の説教が、どれほど支えになり、また示唆を与えられたか計りしれない*2

と書いています。

ルリ子を殺した犯人の子という冷酷な運命を知らされて、主人公陽子は人間の中に流れる汚れた血に気づく。自分一人さえ正しければと思って生きて来た誤りに気づく。罪にめざめ、原罪を意識し、自殺しようとした。

三浦綾子はこの原罪に対する意識を書くために、「氷点」を書いた。その意図するところを、受け取ってくれた人もあるし、そうでない方もある。陽子の遺書を書く前の心理をもっと描写すべきであったかと思う。*3

と書いています。

三浦綾子は、「氷点」で原罪を訴え得ただろうか。陽子の遺書を書く前の心理をもっと描写すべきであったかと書いています。私自身が三浦綾子の意図をほんとうに理解できているかどうかわかりませんが、「三浦綾子は小説『氷点』で原罪に対する意識を書いています」と言うくらいまでは案内できるかもしれません。しかし、それ以上に「原罪」とか「原罪に対する意識」についてお伝えするのはむずかしいのです。

もちろん、辞書をひらけば「原罪」とか「意識」の説明を読むことができますが、さらにそれに加えて、辻口家の夫婦、親子、兄妹の人間関係、それぞれの感情、性格・行動等の理解が出来ていなければならないし、それ以上に、川谷威郎牧師の説教に支えられ、示唆を与えられ、三浦綾子が、生みの苦しみを持って書いたであろう罪の問題についてほんとうに理解したと言う自信がありません。

 

 

三浦綾子は汽車で上富良野を通過したとき、「続泥流地帯」のラストシーンを思い出した。登場人物の深城節子が深雪楼から曽山福子を連れ出して旭川に逃げていくのに乗った汽車が、汽笛をならしてもくもくと黒煙を上げて、主人公の石村拓一と耕作兄弟が稲刈りをしているところに近づいて来た。耕作は息をつめて汽車を見た。

三浦綾子は、「続泥流地帯」の小説の一文を思い出しながら、「何だか、ほんとに耕作が立っているような気がするわね」と同行の夫の光世さんに言った。そして「あ、そこよ! 耕作の家は!」といって持っていた白いハンケチをふった。小説では、福子が逃げ出すことができたら、白いハンカチをふる約束だったのだ。

小説と現実が、三浦綾子の胸のうちで一つになった。とうに終わったはずの小説が、再びよみがえる。50年前の出来事が現在のことに思われる。「続、泥流地帯」は、そのような小説なのである。*4

 

三浦綾子にとって続泥流地帯は、小説と現実が一つなり、その境がないだけでなく、過去と現在の境もないように思われます。

三浦綾子が感動を持って書いた小説が、色あせないでいつまでも読まれ続ける理由がここにあるように思われます。

 

 

*1 この土の器をも 28

*2 この土の器をも 31

*3 ごめんなさいといえる「著者から読者へ-新刊書しょうかい氷点-」

*4 ごめんなさいといえる「汽車の窓から」

 

【案内人ブログ】No.10(2018年1月)

大雪山の「価値」を知り「活かす」ためのフォーラムを傍聴して

三浦文学案内人 森 敏雄

師走も半ばを過ぎた12月17日、大雪山国立公園の玄関口である東川町の文化芸術交流センターで標記フォーラムが開催された。主催はひがしかわ観光協会であった。案内チラシをみると、三浦文学館の難波事務局長が「三浦文学と大雪山」というテーマで事例発表することが載っていた。早速旧友を誘ってこれを傍聴してきた。その模様を以下にお知らせしたいと思う。

冒頭環境省の奥田課長による基調講演では、「大雪山国立公園」は「国立公園」群の代表格であり、この自然景観を「活かす」のは地元の人々の参画と連携が重要!といった基本的核心のほか、世界遺産や日本遺産についてのレクチャーがあった。事例発表では、①「大雪山カムイミンタラ事業+上川アイヌ」日本遺産構想、②「三浦文学と大雪山」関連情報、がそれぞれ発表された。最後に、北大大学院准教授愛甲コーディーネーターを中心とした奥田・井上・難波パネリストによるディスカッションが行われた。

さて、注目の難波事務局長が発表したテーマ「三浦文学と大雪山」の要旨は以下のとおりだ。

三浦文学の代表作『氷点』では陽子と徹が層雲峡の旅館に宿泊する場面が出て来る。アイヌの火まつり見学後、宿に帰ると布団が二つ敷いてあり、この場所で陽子は、小4の時、もらわれて来たことを知ったと徹に語る。
また、現在、三浦綾子記念文学館第4展示室で開催中の「三浦綾子サスペンス 層雲峡・天人峡に燃ゆ」関連の作品、『積木の箱』『雨はあした晴れるだろう』『残像』『毒麦の季』『自我の構図』『果て遠き丘』などが次々と紹介された。
三浦夫妻の新婚旅行地は層雲峡であり、三浦綾子は旭川の地にあって大雪山とともにあった。

エッセイ『丘の上の邂逅』には、

「・・・白金温泉へ向かう途中の、あの両側に延々とつづく白樺の林・・・」
「・・・勇駒別からの旭岳もまたすばらしい。秋にここに来ると、空気が澄んでいて、あの北の日本海に浮かぶ利尻富士がはるかに展望できるという。・・・」
「大雪山に上って眺めるのもいいが、旭川から眺める大雪山がまたいい」

というような描写がでてくる。
『死ぬという大切な仕事』という光世さんのエッセイからは、99年7月11日が三浦綾子最後のドライブとなり、大雪山や十勝岳の自然美を心から称えていたということがよく分かる。
『泥流地帯』『続泥流地帯』の舞台は十勝岳。この小説は「ふるさと」に思いを寄せることの重要性が熱く語られている。

難波事務局長の発表でとりわけインパクトがあったのは、「山には“時”がある』というメッセージであった。
山に相対すると、時間を忘れる。
ゆったりした流れの中に身を置くことができる。
人生の意味を見出す場でもある。
言い得て妙であった。
時間を費やして登頂、そして下山する。読書もまた時間が必要である。時間を費やして読了、そして大きな感動がある。
登山が大の苦手という難波事務局長の指摘は正鵠を得ている。自然と文化の営みは循環する。

ところで、出席者は「三浦文学と大雪山」の発表をどのように聴いたのだろうか?
「三浦文学や三浦文学館に親近感を持つことができた」
「旭川圏の入館者が少ないという話だったが、こういった場で三浦文学をPRすることは大きな意義がある」
などと好意的であった。
それとは別に、「ともかく会場が寒かった。うわの空で話を聞いていた。」という声があり、確かに会場は寒かった。話はそれるが、その寒さから私は、『銃口』で竜太が大正天皇の御大葬の日“足が冷たかった”という綴り方を書き、河地先生に殴られ、書き直しをさせられた一件をふと思い出していた。

大雪山の「価値」を知り「活かす」という取り組みは、三浦文学の「価値」を知り「活かす」取り組みと軌を一にする。同様に「旭山動物園」「買物公園」「優佳良織」「写真甲子園」「十勝岳」など、旭川と近隣市町村の「価値」を知り「活かす」取り組みにつながるものである。これらの資源を一本化することによって、旭川圏の一層の活性化が図られるのではないか、そんなことを感じた有意義なフォーラムであった。

(参考)大雪山は、独立峰ではなく北海道の最高峰「旭岳」を主峰とする山群である。大雪山は、昭和9年12月4日「国立公園」に指定された。温泉も多い。

【案内人ブログ】No.9(2017年12月)

こんにちわ。
三浦文学案内人の村椿です。

さて、今回は、11月29日に富良野演劇工房にて開催された、ワークショップをレポートしたいと思います。

まず、
「ワークショップに参加しませんか?」
と、誘われて、私は「?何を売るの??」。
「とりあえず、参加してみよっと!」と、軽いノリで、
誰が一緒なのかわからない、ミステリーツアーへ(笑)の参加を決めた。

当日、13分前に着いたつもりが・・・「遅いよ!」と仲間が飛び出してくる。
どうも時間を勘違いしていたよう。
すぐに出発し、先行車にレストランで無事合流でき、ほっとした。

以前、一度だけ鑑賞した演劇。
この日は、300席ある中の会場ではなく、階段の突き当りにあるスペースに、マイクとスクリーンが準備されており、観客席用に椅子が50脚程出ていた。

文学館で上演されている朗読ライブミニシアターの内、『泥流地帯』のワンシーンを、富良野グループの久保さんと森上さんが朗読してくれるそう。
売店には、倉本聰さんの本や、上富良野の後藤純男美術館の絵ハガキ等が並んでいた。もちろん、綾子さんの本や便箋も!!
席は満席だった。

難波さんの解説が、いつにもましてなめらかにスタート。
演劇工房のお二人は、やはりプロ。
拓一と耕作が、泥流にのみこまれる部分で叫ぶシーンも、お腹の底からしっかりと叫んでいる。それなのに、マイクでの声も割れていない。
役になりきって、一つ一つの台詞に心を寄せているのが分かる。
スクリーンに映し出された写真と解説と、そして二人の台詞がひとつになって、
聞いている私たちのそれぞれの心の中に入ってくる。
台詞と台詞の行間を自分の想像力で埋めていく。
その台詞が生きて言葉になっていく。

さて、休憩の後はワークショップ。
(体験ってことなのね(^^)b)
めったにないチャンス。やってみたいけど、恥ずかしい。
(そんないつもブレブレの私デス。。。)
今回の挑戦は、福子役。
耕作役には、朗読ボランティアのNさんが。
(緊張して、観客は見えないし、見られない・・・)
『泥流地帯』のどこのシーンだったか思い出しながら、私なりに「福子」になりきった。

一通り終わった後で、演劇工房の久保さんから演技指導。
「すばらしい!すばらしいけど、今度はこうしてみて!」
そんなことを2~3度繰り返しただろうか。

「??褒められてるの?要望のレベルが高すぎるんでないの?
私は普通のオバサンだよ。私にできることは、想像の羽を広げる事。
想像して・・・想像して・・・。」

そんなふうに自分自身に言い聞かせる。
耕作役のNさんも、久保さんの指示に応えて、同じ台詞に自分の感情を加えて自分の言葉に変えていく。
この言葉(ボール)を受け取って返さなければ・・・。

早口になるのは、チャンと呼吸していないから。
苦しくなって一気に喋ってしまうのだから、しっかり呼吸をしなさい。
ゆっくり。もっとゆっくり。

かつで、ブログ3号に、「舞台女優になりきって」と案内人が書いていたが、
まさにそうだった。
10分間。私は、Nさん(耕作役)と幼馴染になった。

 

【案内人ブログ】No.8(2017年11月)

ブログ2回目の登場、近藤弘子です(^^)v
10月13日、14日に、

三浦綾子読書会 小・全国大会in帯広

に参加しました。

初めての全国大会参加、それだけでもドキドキなのに、
私には『銃口』シンポジウムで三浦文学案内人として『銃口』紹介のスピーチを10分間トップバッターとしてする任務が与えられました。

13日。
文学館を出発。車2台8人で!
車内では「紅葉がキレイ!」と盛り上がり、
JR新得駅で集合⇒皆でバスに!!

文学散歩の始まりです!

新得協働学舎で機械を使わないチーズ作りを見学。
そして昼食。
全ての料理が美しく、美味しい!!

その後、中札内美術村の相原求一朗美術館へ。
(綾子さんの文庫本の表紙の画家さんです!)

大きな絵なのに、よく見ると細く繊細なタッチに驚きました。

夕食会では、とかち読書会の方々も参加され、自己紹介で2時間!!
皆さんの綾子さん熱が伝わりました。

14日。
帯広銘菓の柳月工場へ。
3Fの三方六製造見学の場所に、三浦綾子小展示があり、
感激しました。

午後から図書館でシンポジウムです。
入口で『銃口』移動展を開催中で、
沢山の方々が見てらっしゃいました。

いよいよ出番。
化粧直しをする暇もなく壇上へ。
緊張してあがってしまいましたが、なんとか終了。

ホッとしながらも「トップバッターで良かった!」
と思いました。
後からの人達の熱い事!
ディスカッションでは時間が足りない程でした。
読書会代表 森下先生の講演で閉会です。

今回、一番感じた事は・・・

「綾子さんファンはすぐ仲良くなれる!」

ということ。
素晴らしいですね!

そして道外からの参加の方が、私が案内したことを覚えていて下さり、
身の引き締まる思いがしました。

【案内人ブログ】No.7(2017年10月)

光世さんとのおもいで

2017年10月5日 三浦文学案内人 山谷 京子

久しぶりの散歩!!

朝夕めっきり冷えてきた。

ここは見本林!

膝に良いチップが敷き詰められている道。心地よい香りを楽しむ。

両脇には、ストローブ松に巻き付いているツルアジサイ。6月に白い花が咲いていたのを思い出す。

私は、生前の綾子さんには逢ったことはなく、光世さんとは1ヶ月に一度、講演時に手話通訳をさせてもらった。

実は、綾子さんと光世さんと私は同じ4月生まれだ。不思議な縁である。

生前の光世さんに、いつも頂いた言葉が二つある。

「最低でも5冊読んでほしい。」
(→『氷点』、『塩狩峠』『道ありき』『母』『銃口』)

又、

「愛は人の徳を高める」

という言葉だ。

これは私に下さったというよりも、この記念館が、「バリアフリーである」「案内人がいる」「人にやさしい」ということ。

愛がつまっているから、満たされているところなのである。

光世さんと顔を合わせると、

「京子さんは将棋を打ちますか?」

と、聞かれ、

「並べることはできますよ。」

と、いつもそのような会話をしたのを、懐かしく思い出す。

実は、私の義父と光世さんは将棋仲間。
今は義父も他界しているので、今頃は天国で指しているであろう。

光世さんと一緒に誕生会をしたかった!
光世さんのように、愛を持てる人間になれるように成長したい。

今年も綾子祭(毎年 10/6~10/12)が開催されている。
楽しみに参加したい!

10.12 墓参より

【案内人ブログ】No.6(2017年9月)

「三浦文学でフットパス2017」ツアーを終えて

2017年9月8日 三浦文学案内人  森 敏雄

 8月26~27日旭川・上富良野・和寒3市町の三浦文学ゆかりの場所をめぐる標記ツアーが実施されました。東京や神戸のほか、全道各地から集まった熱心な三浦文学ファンが15名余。男性は只一人。以下はスタッフとして参加した添乗記録です。

8月26日8時30分=旭川駅集合。外は大粒の雨。前途多難な幕開けとなり、降雨の中をバスは出発しました。まずは予定外の就実の丘(ジェットコースターの道あり)を経て、美瑛町(丘のまち)に入り上富良野駐車場公園に到着しました。上富良野町スタッフから心づくしの記念品が配られました。この時点で雨は上がっており、現地でエコ・ネットワーク(札幌)の皆さんと合流。主催者あいさつを経て、バスや乗用車を使い総勢30名余で、日新尋常小学校跡地に向かいました。児童や地域住民の死を悼み、標識(柱)の前で献花し一同手を合わせました。再び駐車場公園に戻り、「泥流地帯の道」起点からフットパスがスタートしました。全長6㎞のコースですが、このうち5㎞余を歩く計画です。開拓記念館前の広場で昼食。メロン丸々四分の一大が超美味で、スタッフの心づくしに感謝しました。開拓記念館内部を見学し、文学碑「泥流地帯」(綾子さんが揮毫)をしっかりと見届けました。

三浦文学でフットパス2017
三浦文学でフットパス2017

左手には十勝岳連峰の豊かな山並みが続きます。山上には雲が湧き風の動きを肌で感ずる状況でしたが、まずまずのフットパス日和でした。綾子さんが取材を重ねた専誠寺(ここで住民に集まってもらった)→郷土館を経て、旭川に戻りました。上富良野町スタッフのアイヌ伝説3題や泥流の地層見本などは、大変苦心されたことと思います。ありがとうございました。上富良野~旭川の中間地点、美瑛町では滝のような豪雨に逢い、遠くに雷鳴を聞きました。対向車はすべてライト点灯、各車とも激しい水しぶきを上げての走行でした。

旭川の入り口に到達すると雨が止み「氷点の道」歩きが楽しめると思いきや、宿泊先のWホテル経由で出発点=旭川東高前にたどり着くと、またもや雨の再襲来! 傘を差したり合羽を着ての、雨中の文学散歩と相成りました。旭川六条教会→郵便局跡→4の8バス停→喫茶ちろる→旧アサヒビル→旭川駅という道程でした。ガイド役長友学芸員の声は半分しか聞こえません。三浦文学館まであと一息です。が、雨の中の歩きは辛い。時間にして20分位。ツアー会社が気を利かせて、旭川駅にバスを手配してくれました。良かった・助かったとバスに乗り込むと、走り出してすぐに雨が上がり、虹がアーチを描いておりました。16時20分三浦文学館に到着です。早速館内中央フロアでの記念写真撮影。思い思いに30分ほど館内を見学し、17時10分宿泊先のWホテルに到着しました。全員疲れ切った様子でしたね。ホテル内で小休止。天然温泉入浴などを楽しんだことでしょう。

三浦文学でフットパス2017
三浦文学でフットパス2017

18時30分隣のMホールで交流会が始まりました。佐川実行委員長あいさつは、“三浦文学を通して地域間交流を図っていきたい。この度フットパス第一人者小川巌先生の同行に感謝している。ここに先生の息子さんが参加しているので、浩一郎氏からフットパスについてレクチャーしてもらいたい”との話で、マイクは浩一郎氏にバトンタッチ。フットパスはイギリス発祥。道内には50地域/200のフットパスコースがある由。続いて、ツアー会社による本日の足跡をたどるスライドショーの映写が始まりました。そして、乾杯! グラスの触れる軽いタッチが各テーブルに響き、いよいよ晩餐の宴が始まりました。飲酒は飲み放題、料理のメニューは前菜・刺身・中華・魚料理・肉料理・寿司・デザートという豪華版。籤が取り持った隣人(参加者)との会話が弾みました。

19時ころ本日のハイライト、朗読グループ「綾の会」&「三浦文学案内人の会」&文学館スタッフによるミニシアター「泥流地帯」の朗読ライブが実施されました。この場に、当日一緒に歩いた田中館長、森案内人も飛び入り参加しました。参加者の共通話題は、三浦文学であり三浦綾子さん、そしてフットパス。スペシャルインタビューや、拓一・耕作・佐枝セリフ語り体験コーナーがありました。ライトを消した中、キャンドル下での小川巌先生誕生日を祝うひとときもあり、あっという間に時間が経過。和気あいあいのうちに散会の時間を迎えました。最後に佐川実行委員長が、参会者の前で高らかに宣言しました。“「泥流地帯」の映画化を何としても実現させたい”~この熱い思いに皆賛同し、惜しみない拍手を贈りました。20時30分これをもってお開きとなりました。フリータイム、就寝です。

8月27日8時10分第2日目スタート。昨日とは打って変わり、終日晴天が予測されました。その中を小説「塩狩峠」のゆかりの地、和寒町塩狩地区を目指しました。バスは1時間ほどで塩狩駅傍の塩狩峠記念館に到着。ここには和寒町民も多数参加しており、イベント開会式には総勢50名余が詰めかけておりました。主催者あいさつを経て、鉄道線路脇の「長野政雄殉職の地記念碑」前で和寒町スタッフの説明がありました。9時30分ころ縦一列になって「塩狩峠の道」起点からのフットパスが始まりました。夫婦岩では上空にドローンの歓迎があり、一人ひとりに地元ミニトマトが振る舞われました。全長8.4㎞のところを夫婦岩を中心とした南半分5.5㎞を歩き切ると、迎えのバスが待っており、昼食会場に案内されました。和寒町はカボチャの作付が日本一! 夫婦岩は標高333メートルの山上にあり、明治36年発見されました。仲良く寄り添うような10メートルほどの「男岩」と「女岩」の屹立が見事でした。連想ゲームではありませんが、綾子さんの小説「岩に立つ」を思い出しました。

三浦文学でフットパス2017
三浦文学でフットパス2017

正午前にバーベキューハウスでジンギスカン昼食が始まりました。七輪に炭を起こし金網を乗っけての新スタイル(?)。初めは上手に焼くことができませんでした。肉がおいしかったです。私たちはほぼ食い逃げ状態です。後片づけが大変だったと思います。和寒町スタッフの皆様、ごめんなさいです。13時私たちは会場を後にし、JR和寒駅に向かいました。和寒町スタッフからおみやげをもらい、その上彼らの温かい見送りを受けて、13時38分快速なよろ6号でフィナーレの旭川駅を目指しました。途中の塩狩駅では、キリストの僕として忠実に生死した長野政雄さんを、各自思い思いに偲ぶことができました。14時31分旭川駅到着。旭川駅東口では文学館の難波事務局長、江川スタッフが私たちを迎えてくれました。早速文学館からもおみやげが配られました。続いて解散式があり、田中館長から参加者へのお礼とスタッフへのねぎらいの言葉がありました。ツアー会社添乗員や文学館難波事務局長からもお礼の言葉があり、15時ころ名残を惜しんで散会。2日間の一大イベントはここに最後の幕を下ろしました。

参加された三浦文学ファンの皆様、大変お疲れさまでした。私は何のお役にも立てず、申し訳なく思っています。道中このツアーに一番で申し込んだ、東京から参加された人と少しお話ができました。函館から参加された一人とは、函館の印象や三浦文学を語ることができました。前川正さんの弟さん(10年位前、81歳で亡くなった)と同じ町内会に住む人や50年前の旧友(女性)の消息を伝えてくれた人、三浦文学案内人講座受講中の人にもお会いでき嬉しかったです。唯一の男性とも少しばかり雑談を交わすことができました。私にとっては、一期一会の心に残る印象深い2日間でした。3市町実行委員会の皆様、その手足となって活動された皆様、文学館スタッフの皆様、「綾の会」&「三浦文学案内人の会」の皆様、本当にありがとうございました。改めて感謝を申し上げます。

【案内人ブログ】No.5(2017年8月)

三浦隆一さん(三浦文学案内人)
三浦隆一さん(三浦文学案内人)

「三浦文学案内人」の館外研修について

2017年8月9日 三浦文学案内人 三浦隆一

 

2017年7月31日に、案内人の実地研修が行われました。

朝、見本林の駐車場でカワラヒワが「チチチ」と鳴いていました。
旭川市内ではよく見かける鳥ですが、見本林ではあまり見かけません。
この日は、あいにくの雨模様でしたが、カワラヒワのおかげで良いのようにも思えます。

念願の上富良野方面の実地研修の日。
終日、雨でしたが、テーマを決めて回る実地研修は初めてでした。

9時40分。
予定通り、文学館を出発し、深山峠を過ぎて、「土の館」で館長の話に聞き入る。

「キャラウェイ」で昼食をとる。
(「オムカレー」を頼み……大当たり!!)
と、突然、森下先生から、
「『泥流地帯』の中で一番好きな場面はどこですか?」
という質問。
一人一人答えていく中で、私は、
「吉田村長の弔辞の場面です」
と、答えました。

その後、門人の小さなお寺にある「十勝岳爆発記念碑」を見学。

次に、「上富良野町開拓記念館」。ここは、吉田村長の公宅だった建物を移築したもので、その中で十勝岳爆発を記録した動画を見、ナレーションの秀逸さに感心しました。
開拓記念館にて(上富良野町)
開拓記念館にて(上富良野町)
『泥流地帯』文学碑(上富良野町)
『泥流地帯』文学碑(上富良野町)

その次には、「上富良野町郷土館」を休館日にお願いして見せてもらい、ここでも生々しい記録動画を見ました。遺品等も含め、ぜひ一度ご覧いただきたいと思います。

日本は、災害の絶えない国です。十勝岳も、判っているだけで5回の噴火があり、『泥流地帯』に書かれた「大正噴火」では、144名の犠牲者を出しました。
『続 泥流地帯』に書かれる吉田村長の弔辞は、次のようにはじまります。

「大正十五年五月二十四日、午後四時、十勝山嶺猛威をふるいて、本村開拓の功労者百三十七名を奪い、田畑その他の損害無慮三百万を算するの一大惨害を呈するに至れり。天変地異まことに測地するを得ずと雖も、何すれぞそれ悲痛の極みなる。只々天を仰いで浩歎せざるを得ざるなり」

この弔辞は、長友学芸員によれば、郷土館に保管されていたものであり、綾子さんが創作したものではないとのこと。
自身も母親を泥流で失くした村長の弔辞は、災害後の葬儀に列席しているように、綾子さんの文章によって引き込まれます。

研修旅行は、「十勝岳爆発記念碑駐車場公園」に。
泥流で運ばれた巨大な台形状の石が設置されています。
田畑の中にあった巨石を移設し、駐車場公園としたとのこと。

最後の研修地は、日新尋常小学校跡を見学。
墓標のように立つ、「日新小学校跡」と標された柱のような木が、
その跡地を示すのみで、辺りは自然に戻ろうとしていました。

十勝岳の爆発による逆境を克服したっからこそ、今日の上富良野町があるということを感じさせる研修旅行でした。