【案内人ブログ】No.5(2017年8月)

三浦隆一さん(三浦文学案内人)
三浦隆一さん(三浦文学案内人)

「三浦文学案内人」の館外研修について

2017年8月9日 三浦文学案内人 三浦隆一

 

2017年7月31日に、案内人の実地研修が行われました。

朝、見本林の駐車場でカワラヒワが「チチチ」と鳴いていました。
旭川市内ではよく見かける鳥ですが、見本林ではあまり見かけません。
この日は、あいにくの雨模様でしたが、カワラヒワのおかげで良いのようにも思えます。

念願の上富良野方面の実地研修の日。
終日、雨でしたが、テーマを決めて回る実地研修は初めてでした。

9時40分。
予定通り、文学館を出発し、深山峠を過ぎて、「土の館」で館長の話に聞き入る。

「キャラウェイ」で昼食をとる。
(「オムカレー」を頼み……大当たり!!)
と、突然、森下先生から、
「『泥流地帯』の中で一番好きな場面はどこですか?」
という質問。
一人一人答えていく中で、私は、
「吉田村長の弔辞の場面です」
と、答えました。

その後、門人の小さなお寺にある「十勝岳爆発記念碑」を見学。

次に、「上富良野町開拓記念館」。ここは、吉田村長の公宅だった建物を移築したもので、その中で十勝岳爆発を記録した動画を見、ナレーションの秀逸さに感心しました。
開拓記念館にて(上富良野町)
開拓記念館にて(上富良野町)
『泥流地帯』文学碑(上富良野町)
『泥流地帯』文学碑(上富良野町)

その次には、「上富良野町郷土館」を休館日にお願いして見せてもらい、ここでも生々しい記録動画を見ました。遺品等も含め、ぜひ一度ご覧いただきたいと思います。

日本は、災害の絶えない国です。十勝岳も、判っているだけで5回の噴火があり、『泥流地帯』に書かれた「大正噴火」では、144名の犠牲者を出しました。
『続 泥流地帯』に書かれる吉田村長の弔辞は、次のようにはじまります。

「大正十五年五月二十四日、午後四時、十勝山嶺猛威をふるいて、本村開拓の功労者百三十七名を奪い、田畑その他の損害無慮三百万を算するの一大惨害を呈するに至れり。天変地異まことに測地するを得ずと雖も、何すれぞそれ悲痛の極みなる。只々天を仰いで浩歎せざるを得ざるなり」

この弔辞は、長友学芸員によれば、郷土館に保管されていたものであり、綾子さんが創作したものではないとのこと。
自身も母親を泥流で失くした村長の弔辞は、災害後の葬儀に列席しているように、綾子さんの文章によって引き込まれます。

研修旅行は、「十勝岳爆発記念碑駐車場公園」に。
泥流で運ばれた巨大な台形状の石が設置されています。
田畑の中にあった巨石を移設し、駐車場公園としたとのこと。

最後の研修地は、日新尋常小学校跡を見学。
墓標のように立つ、「日新小学校跡」と標された柱のような木が、
その跡地を示すのみで、辺りは自然に戻ろうとしていました。

十勝岳の爆発による逆境を克服したっからこそ、今日の上富良野町があるということを感じさせる研修旅行でした。