【案内人ブログ】No.16(2018年7月)

増田明美さんといっしょに歩く「氷点」の舞台見本林ウオークから思うこと

6月9日(土)、マラソンランナーの増田明美さんが外国樹種見本林(以下「見本林」という)の中にある三浦綾子記念文学館(以下「文学館」という)に来た。
文学館開館20周年記念行事として「増田明美さんといっしょに歩く、『氷点』の舞台・見本林ウォーク」が開催されたのだ。増田さんは、三浦文学のファンで文学館が開館した20年前にも来ていたという。増田さんは文学館で記念の集合写真をとり短いお話をした後、1時間、ウオーキング参加者70名と談笑しながら初夏の清々しい見本林の中を散策した。

三浦綾子の小説『氷点』ではこの見本林の松林のすぐ傍らに、主人公の家、和、洋館からなる辻口病院長邸が、ひっそりと建っていた。この家で成長した陽子は見本林の中のストローブマツの切り株に座って『嵐が丘』を読んでいて、後に恋人になる北原邦雄と出会った。母・夏枝に、辻口夫婦の長女ルリ子を殺した犯人の娘だと言われた陽子は、見本林の中の堤防を越えた川原を死に場所に選び、睡眠薬を飲んで雪の上に横たわった等々、見本林は『氷点』の舞台になっている。(文学館には詳細な見本林マップがある)

見本林は旭川の気候のもとでストローブマツやヨーロッパカラマツといった外国樹種がどのように育つかを調べるため、1898年(明治31年)、明治政府が苗木の植栽を始めた。ちょうど100年後の1998年、その見本林の中に文学館が建てられた。

私は、今回のウォーキングで、かって三浦綾子もどんな思いで見本林を歩いたか、また三浦綾子と見本林の関わりについて思った。そこで少しわかったのは、三浦綾子がこの見本林を訪れた時の名状し難い感動がなければ、この小説『氷点』を書くことがなかったのではないか。見本林は、三浦綾子にとって特別な場所ではないかということである。見本林の中にある文学館は今年、開館20周年。今年9月には、三浦綾子がたくさんの作品をつくつた書斎が新たに文学館の隣に移ってくることで、三浦綾子と見本林の関係はいっそう深まるであろう。

この見本林を三浦夫婦が二人で初めて訪れたのは、結婚2年目の6月である。三浦綾子はその時のことを次のように書いている。
「林に着くと丈高いストローブマツが風に揺れ、その梢が天をかきまわすようにうごめいていた。林の中の道を通って、堤防に上ったわたしは、その向こうにまた、うっそうと繁る暗いドイツトーヒの林が続くのを見た」(この土の器をも)
その林に一歩足を踏み入れた時、三浦綾子は、
「名状し難い感動に襲われた。暗い林の中に、光が縞目をつくって斜めに射し、その縞目もおぼろな彼方に、光が煙のように漂っていた」(この土の器をも)
その時の印象が、あまりに強烈であったため、三浦綾子は小説の筋が決まると、ここを舞台に決めたのである。そして昼となく夜となく何度も見本林を訪れて、小説『氷点』を書いた。

by三浦文学案内人  山崎健一