【案内人ブログ】No.10(2018年1月)

大雪山の「価値」を知り「活かす」ためのフォーラムを傍聴して

三浦文学案内人 森 敏雄

師走も半ばを過ぎた12月17日、大雪山国立公園の玄関口である東川町の文化芸術交流センターで標記フォーラムが開催された。主催はひがしかわ観光協会であった。案内チラシをみると、三浦文学館の難波事務局長が「三浦文学と大雪山」というテーマで事例発表することが載っていた。早速旧友を誘ってこれを傍聴してきた。その模様を以下にお知らせしたいと思う。

冒頭環境省の奥田課長による基調講演では、「大雪山国立公園」は「国立公園」群の代表格であり、この自然景観を「活かす」のは地元の人々の参画と連携が重要!といった基本的核心のほか、世界遺産や日本遺産についてのレクチャーがあった。事例発表では、①「大雪山カムイミンタラ事業+上川アイヌ」日本遺産構想、②「三浦文学と大雪山」関連情報、がそれぞれ発表された。最後に、北大大学院准教授愛甲コーディーネーターを中心とした奥田・井上・難波パネリストによるディスカッションが行われた。

さて、注目の難波事務局長が発表したテーマ「三浦文学と大雪山」の要旨は以下のとおりだ。

三浦文学の代表作『氷点』では陽子と徹が層雲峡の旅館に宿泊する場面が出て来る。アイヌの火まつり見学後、宿に帰ると布団が二つ敷いてあり、この場所で陽子は、小4の時、もらわれて来たことを知ったと徹に語る。
また、現在、三浦綾子記念文学館第4展示室で開催中の「三浦綾子サスペンス 層雲峡・天人峡に燃ゆ」関連の作品、『積木の箱』『雨はあした晴れるだろう』『残像』『毒麦の季』『自我の構図』『果て遠き丘』などが次々と紹介された。
三浦夫妻の新婚旅行地は層雲峡であり、三浦綾子は旭川の地にあって大雪山とともにあった。

エッセイ『丘の上の邂逅』には、

「・・・白金温泉へ向かう途中の、あの両側に延々とつづく白樺の林・・・」
「・・・勇駒別からの旭岳もまたすばらしい。秋にここに来ると、空気が澄んでいて、あの北の日本海に浮かぶ利尻富士がはるかに展望できるという。・・・」
「大雪山に上って眺めるのもいいが、旭川から眺める大雪山がまたいい」

というような描写がでてくる。
『死ぬという大切な仕事』という光世さんのエッセイからは、99年7月11日が三浦綾子最後のドライブとなり、大雪山や十勝岳の自然美を心から称えていたということがよく分かる。
『泥流地帯』『続泥流地帯』の舞台は十勝岳。この小説は「ふるさと」に思いを寄せることの重要性が熱く語られている。

難波事務局長の発表でとりわけインパクトがあったのは、「山には“時”がある』というメッセージであった。
山に相対すると、時間を忘れる。
ゆったりした流れの中に身を置くことができる。
人生の意味を見出す場でもある。
言い得て妙であった。
時間を費やして登頂、そして下山する。読書もまた時間が必要である。時間を費やして読了、そして大きな感動がある。
登山が大の苦手という難波事務局長の指摘は正鵠を得ている。自然と文化の営みは循環する。

ところで、出席者は「三浦文学と大雪山」の発表をどのように聴いたのだろうか?
「三浦文学や三浦文学館に親近感を持つことができた」
「旭川圏の入館者が少ないという話だったが、こういった場で三浦文学をPRすることは大きな意義がある」
などと好意的であった。
それとは別に、「ともかく会場が寒かった。うわの空で話を聞いていた。」という声があり、確かに会場は寒かった。話はそれるが、その寒さから私は、『銃口』で竜太が大正天皇の御大葬の日“足が冷たかった”という綴り方を書き、河地先生に殴られ、書き直しをさせられた一件をふと思い出していた。

大雪山の「価値」を知り「活かす」という取り組みは、三浦文学の「価値」を知り「活かす」取り組みと軌を一にする。同様に「旭山動物園」「買物公園」「優佳良織」「写真甲子園」「十勝岳」など、旭川と近隣市町村の「価値」を知り「活かす」取り組みにつながるものである。これらの資源を一本化することによって、旭川圏の一層の活性化が図られるのではないか、そんなことを感じた有意義なフォーラムであった。

(参考)大雪山は、独立峰ではなく北海道の最高峰「旭岳」を主峰とする山群である。大雪山は、昭和9年12月4日「国立公園」に指定された。温泉も多い。

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【案内人ブログ】No.9(2017年12月)

こんにちわ。
三浦文学案内人の村椿です。

さて、今回は、11月29日に富良野演劇工房にて開催された、ワークショップをレポートしたいと思います。

まず、
「ワークショップに参加しませんか?」
と、誘われて、私は「?何を売るの??」。
「とりあえず、参加してみよっと!」と、軽いノリで、
誰が一緒なのかわからない、ミステリーツアーへ(笑)の参加を決めた。

当日、13分前に着いたつもりが・・・「遅いよ!」と仲間が飛び出してくる。
どうも時間を勘違いしていたよう。
すぐに出発し、先行車にレストランで無事合流でき、ほっとした。

以前、一度だけ鑑賞した演劇。
この日は、300席ある中の会場ではなく、階段の突き当りにあるスペースに、マイクとスクリーンが準備されており、観客席用に椅子が50脚程出ていた。

文学館で上演されている朗読ライブミニシアターの内、『泥流地帯』のワンシーンを、富良野グループの久保さんと森上さんが朗読してくれるそう。
売店には、倉本聰さんの本や、上富良野の後藤純男美術館の絵ハガキ等が並んでいた。もちろん、綾子さんの本や便箋も!!
席は満席だった。

難波さんの解説が、いつにもましてなめらかにスタート。
演劇工房のお二人は、やはりプロ。
拓一と耕作が、泥流にのみこまれる部分で叫ぶシーンも、お腹の底からしっかりと叫んでいる。それなのに、マイクでの声も割れていない。
役になりきって、一つ一つの台詞に心を寄せているのが分かる。
スクリーンに映し出された写真と解説と、そして二人の台詞がひとつになって、
聞いている私たちのそれぞれの心の中に入ってくる。
台詞と台詞の行間を自分の想像力で埋めていく。
その台詞が生きて言葉になっていく。

さて、休憩の後はワークショップ。
(体験ってことなのね(^^)b)
めったにないチャンス。やってみたいけど、恥ずかしい。
(そんないつもブレブレの私デス。。。)
今回の挑戦は、福子役。
耕作役には、朗読ボランティアのNさんが。
(緊張して、観客は見えないし、見られない・・・)
『泥流地帯』のどこのシーンだったか思い出しながら、私なりに「福子」になりきった。

一通り終わった後で、演劇工房の久保さんから演技指導。
「すばらしい!すばらしいけど、今度はこうしてみて!」
そんなことを2~3度繰り返しただろうか。

「??褒められてるの?要望のレベルが高すぎるんでないの?
私は普通のオバサンだよ。私にできることは、想像の羽を広げる事。
想像して・・・想像して・・・。」

そんなふうに自分自身に言い聞かせる。
耕作役のNさんも、久保さんの指示に応えて、同じ台詞に自分の感情を加えて自分の言葉に変えていく。
この言葉(ボール)を受け取って返さなければ・・・。

早口になるのは、チャンと呼吸していないから。
苦しくなって一気に喋ってしまうのだから、しっかり呼吸をしなさい。
ゆっくり。もっとゆっくり。

かつで、ブログ3号に、「舞台女優になりきって」と案内人が書いていたが、
まさにそうだった。
10分間。私は、Nさん(耕作役)と幼馴染になった。

 

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【案内人ブログ】No.8(2017年11月)

ブログ2回目の登場、近藤弘子です(^^)v
10月13日、14日に、

三浦綾子読書会 小・全国大会in帯広

に参加しました。

初めての全国大会参加、それだけでもドキドキなのに、
私には『銃口』シンポジウムで三浦文学案内人として『銃口』紹介のスピーチを10分間トップバッターとしてする任務が与えられました。

13日。
文学館を出発。車2台8人で!
車内では「紅葉がキレイ!」と盛り上がり、
JR新得駅で集合⇒皆でバスに!!

文学散歩の始まりです!

新得協働学舎で機械を使わないチーズ作りを見学。
そして昼食。
全ての料理が美しく、美味しい!!

その後、中札内美術村の相原求一朗美術館へ。
(綾子さんの文庫本の表紙の画家さんです!)

大きな絵なのに、よく見ると細く繊細なタッチに驚きました。

夕食会では、とかち読書会の方々も参加され、自己紹介で2時間!!
皆さんの綾子さん熱が伝わりました。

14日。
帯広銘菓の柳月工場へ。
3Fの三方六製造見学の場所に、三浦綾子小展示があり、
感激しました。

午後から図書館でシンポジウムです。
入口で『銃口』移動展を開催中で、
沢山の方々が見てらっしゃいました。

いよいよ出番。
化粧直しをする暇もなく壇上へ。
緊張してあがってしまいましたが、なんとか終了。

ホッとしながらも「トップバッターで良かった!」
と思いました。
後からの人達の熱い事!
ディスカッションでは時間が足りない程でした。
読書会代表 森下先生の講演で閉会です。

今回、一番感じた事は・・・

「綾子さんファンはすぐ仲良くなれる!」

ということ。
素晴らしいですね!

そして道外からの参加の方が、私が案内したことを覚えていて下さり、
身の引き締まる思いがしました。

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【案内人ブログ】No.7(2017年10月)

光世さんとのおもいで

2017年10月5日 三浦文学案内人 山谷 京子

久しぶりの散歩!!

朝夕めっきり冷えてきた。

ここは見本林!

膝に良いチップが敷き詰められている道。心地よい香りを楽しむ。

両脇には、ストローブ松に巻き付いているツルアジサイ。6月に白い花が咲いていたのを思い出す。

私は、生前の綾子さんには逢ったことはなく、光世さんとは1ヶ月に一度、講演時に手話通訳をさせてもらった。

実は、綾子さんと光世さんと私は同じ4月生まれだ。不思議な縁である。

生前の光世さんに、いつも頂いた言葉が二つある。

「最低でも5冊読んでほしい。」
(→『氷点』、『塩狩峠』『道ありき』『母』『銃口』)

又、

「愛は人の徳を高める」

という言葉だ。

これは私に下さったというよりも、この記念館が、「バリアフリーである」「案内人がいる」「人にやさしい」ということ。

愛がつまっているから、満たされているところなのである。

光世さんと顔を合わせると、

「京子さんは将棋を打ちますか?」

と、聞かれ、

「並べることはできますよ。」

と、いつもそのような会話をしたのを、懐かしく思い出す。

実は、私の義父と光世さんは将棋仲間。
今は義父も他界しているので、今頃は天国で指しているであろう。

光世さんと一緒に誕生会をしたかった!
光世さんのように、愛を持てる人間になれるように成長したい。

今年も綾子祭(毎年 10/6~10/12)が開催されている。
楽しみに参加したい!

10.12 墓参より
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【案内人ブログ】No.6(2017年9月)

「三浦文学でフットパス2017」ツアーを終えて

2017年9月8日 三浦文学案内人  森 敏雄

 8月26~27日旭川・上富良野・和寒3市町の三浦文学ゆかりの場所をめぐる標記ツアーが実施されました。東京や神戸のほか、全道各地から集まった熱心な三浦文学ファンが15名余。男性は只一人。以下はスタッフとして参加した添乗記録です。

8月26日8時30分=旭川駅集合。外は大粒の雨。前途多難な幕開けとなり、降雨の中をバスは出発しました。まずは予定外の就実の丘(ジェットコースターの道あり)を経て、美瑛町(丘のまち)に入り上富良野駐車場公園に到着しました。上富良野町スタッフから心づくしの記念品が配られました。この時点で雨は上がっており、現地でエコ・ネットワーク(札幌)の皆さんと合流。主催者あいさつを経て、バスや乗用車を使い総勢30名余で、日新尋常小学校跡地に向かいました。児童や地域住民の死を悼み、標識(柱)の前で献花し一同手を合わせました。再び駐車場公園に戻り、「泥流地帯の道」起点からフットパスがスタートしました。全長6㎞のコースですが、このうち5㎞余を歩く計画です。開拓記念館前の広場で昼食。メロン丸々四分の一大が超美味で、スタッフの心づくしに感謝しました。開拓記念館内部を見学し、文学碑「泥流地帯」(綾子さんが揮毫)をしっかりと見届けました。

三浦文学でフットパス2017
三浦文学でフットパス2017

左手には十勝岳連峰の豊かな山並みが続きます。山上には雲が湧き風の動きを肌で感ずる状況でしたが、まずまずのフットパス日和でした。綾子さんが取材を重ねた専誠寺(ここで住民に集まってもらった)→郷土館を経て、旭川に戻りました。上富良野町スタッフのアイヌ伝説3題や泥流の地層見本などは、大変苦心されたことと思います。ありがとうございました。上富良野~旭川の中間地点、美瑛町では滝のような豪雨に逢い、遠くに雷鳴を聞きました。対向車はすべてライト点灯、各車とも激しい水しぶきを上げての走行でした。

旭川の入り口に到達すると雨が止み「氷点の道」歩きが楽しめると思いきや、宿泊先のWホテル経由で出発点=旭川東高前にたどり着くと、またもや雨の再襲来! 傘を差したり合羽を着ての、雨中の文学散歩と相成りました。旭川六条教会→郵便局跡→4の8バス停→喫茶ちろる→旧アサヒビル→旭川駅という道程でした。ガイド役長友学芸員の声は半分しか聞こえません。三浦文学館まであと一息です。が、雨の中の歩きは辛い。時間にして20分位。ツアー会社が気を利かせて、旭川駅にバスを手配してくれました。良かった・助かったとバスに乗り込むと、走り出してすぐに雨が上がり、虹がアーチを描いておりました。16時20分三浦文学館に到着です。早速館内中央フロアでの記念写真撮影。思い思いに30分ほど館内を見学し、17時10分宿泊先のWホテルに到着しました。全員疲れ切った様子でしたね。ホテル内で小休止。天然温泉入浴などを楽しんだことでしょう。

三浦文学でフットパス2017
三浦文学でフットパス2017

18時30分隣のMホールで交流会が始まりました。佐川実行委員長あいさつは、“三浦文学を通して地域間交流を図っていきたい。この度フットパス第一人者小川巌先生の同行に感謝している。ここに先生の息子さんが参加しているので、浩一郎氏からフットパスについてレクチャーしてもらいたい”との話で、マイクは浩一郎氏にバトンタッチ。フットパスはイギリス発祥。道内には50地域/200のフットパスコースがある由。続いて、ツアー会社による本日の足跡をたどるスライドショーの映写が始まりました。そして、乾杯! グラスの触れる軽いタッチが各テーブルに響き、いよいよ晩餐の宴が始まりました。飲酒は飲み放題、料理のメニューは前菜・刺身・中華・魚料理・肉料理・寿司・デザートという豪華版。籤が取り持った隣人(参加者)との会話が弾みました。

19時ころ本日のハイライト、朗読グループ「綾の会」&「三浦文学案内人の会」&文学館スタッフによるミニシアター「泥流地帯」の朗読ライブが実施されました。この場に、当日一緒に歩いた田中館長、森案内人も飛び入り参加しました。参加者の共通話題は、三浦文学であり三浦綾子さん、そしてフットパス。スペシャルインタビューや、拓一・耕作・佐枝セリフ語り体験コーナーがありました。ライトを消した中、キャンドル下での小川巌先生誕生日を祝うひとときもあり、あっという間に時間が経過。和気あいあいのうちに散会の時間を迎えました。最後に佐川実行委員長が、参会者の前で高らかに宣言しました。“「泥流地帯」の映画化を何としても実現させたい”~この熱い思いに皆賛同し、惜しみない拍手を贈りました。20時30分これをもってお開きとなりました。フリータイム、就寝です。

8月27日8時10分第2日目スタート。昨日とは打って変わり、終日晴天が予測されました。その中を小説「塩狩峠」のゆかりの地、和寒町塩狩地区を目指しました。バスは1時間ほどで塩狩駅傍の塩狩峠記念館に到着。ここには和寒町民も多数参加しており、イベント開会式には総勢50名余が詰めかけておりました。主催者あいさつを経て、鉄道線路脇の「長野政雄殉職の地記念碑」前で和寒町スタッフの説明がありました。9時30分ころ縦一列になって「塩狩峠の道」起点からのフットパスが始まりました。夫婦岩では上空にドローンの歓迎があり、一人ひとりに地元ミニトマトが振る舞われました。全長8.4㎞のところを夫婦岩を中心とした南半分5.5㎞を歩き切ると、迎えのバスが待っており、昼食会場に案内されました。和寒町はカボチャの作付が日本一! 夫婦岩は標高333メートルの山上にあり、明治36年発見されました。仲良く寄り添うような10メートルほどの「男岩」と「女岩」の屹立が見事でした。連想ゲームではありませんが、綾子さんの小説「岩に立つ」を思い出しました。

三浦文学でフットパス2017
三浦文学でフットパス2017

正午前にバーベキューハウスでジンギスカン昼食が始まりました。七輪に炭を起こし金網を乗っけての新スタイル(?)。初めは上手に焼くことができませんでした。肉がおいしかったです。私たちはほぼ食い逃げ状態です。後片づけが大変だったと思います。和寒町スタッフの皆様、ごめんなさいです。13時私たちは会場を後にし、JR和寒駅に向かいました。和寒町スタッフからおみやげをもらい、その上彼らの温かい見送りを受けて、13時38分快速なよろ6号でフィナーレの旭川駅を目指しました。途中の塩狩駅では、キリストの僕として忠実に生死した長野政雄さんを、各自思い思いに偲ぶことができました。14時31分旭川駅到着。旭川駅東口では文学館の難波事務局長、江川スタッフが私たちを迎えてくれました。早速文学館からもおみやげが配られました。続いて解散式があり、田中館長から参加者へのお礼とスタッフへのねぎらいの言葉がありました。ツアー会社添乗員や文学館難波事務局長からもお礼の言葉があり、15時ころ名残を惜しんで散会。2日間の一大イベントはここに最後の幕を下ろしました。

参加された三浦文学ファンの皆様、大変お疲れさまでした。私は何のお役にも立てず、申し訳なく思っています。道中このツアーに一番で申し込んだ、東京から参加された人と少しお話ができました。函館から参加された一人とは、函館の印象や三浦文学を語ることができました。前川正さんの弟さん(10年位前、81歳で亡くなった)と同じ町内会に住む人や50年前の旧友(女性)の消息を伝えてくれた人、三浦文学案内人講座受講中の人にもお会いでき嬉しかったです。唯一の男性とも少しばかり雑談を交わすことができました。私にとっては、一期一会の心に残る印象深い2日間でした。3市町実行委員会の皆様、その手足となって活動された皆様、文学館スタッフの皆様、「綾の会」&「三浦文学案内人の会」の皆様、本当にありがとうございました。改めて感謝を申し上げます。

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【案内人ブログ】No.5(2017年8月)

三浦隆一さん(三浦文学案内人)
三浦隆一さん(三浦文学案内人)

「三浦文学案内人」の館外研修について

2017年8月9日 三浦文学案内人 三浦隆一

 

2017年7月31日に、案内人の実地研修が行われました。

朝、見本林の駐車場でカワラヒワが「チチチ」と鳴いていました。
旭川市内ではよく見かける鳥ですが、見本林ではあまり見かけません。
この日は、あいにくの雨模様でしたが、カワラヒワのおかげで良いのようにも思えます。

念願の上富良野方面の実地研修の日。
終日、雨でしたが、テーマを決めて回る実地研修は初めてでした。

9時40分。
予定通り、文学館を出発し、深山峠を過ぎて、「土の館」で館長の話に聞き入る。

「キャラウェイ」で昼食をとる。
(「オムカレー」を頼み……大当たり!!)
と、突然、森下先生から、
「『泥流地帯』の中で一番好きな場面はどこですか?」
という質問。
一人一人答えていく中で、私は、
「吉田村長の弔辞の場面です」
と、答えました。

その後、門人の小さなお寺にある「十勝岳爆発記念碑」を見学。

次に、「上富良野町開拓記念館」。ここは、吉田村長の公宅だった建物を移築したもので、その中で十勝岳爆発を記録した動画を見、ナレーションの秀逸さに感心しました。
開拓記念館にて(上富良野町)
開拓記念館にて(上富良野町)
『泥流地帯』文学碑(上富良野町)
『泥流地帯』文学碑(上富良野町)

その次には、「上富良野町郷土館」を休館日にお願いして見せてもらい、ここでも生々しい記録動画を見ました。遺品等も含め、ぜひ一度ご覧いただきたいと思います。

日本は、災害の絶えない国です。十勝岳も、判っているだけで5回の噴火があり、『泥流地帯』に書かれた「大正噴火」では、144名の犠牲者を出しました。
『続 泥流地帯』に書かれる吉田村長の弔辞は、次のようにはじまります。

「大正十五年五月二十四日、午後四時、十勝山嶺猛威をふるいて、本村開拓の功労者百三十七名を奪い、田畑その他の損害無慮三百万を算するの一大惨害を呈するに至れり。天変地異まことに測地するを得ずと雖も、何すれぞそれ悲痛の極みなる。只々天を仰いで浩歎せざるを得ざるなり」

この弔辞は、長友学芸員によれば、郷土館に保管されていたものであり、綾子さんが創作したものではないとのこと。
自身も母親を泥流で失くした村長の弔辞は、災害後の葬儀に列席しているように、綾子さんの文章によって引き込まれます。

研修旅行は、「十勝岳爆発記念碑駐車場公園」に。
泥流で運ばれた巨大な台形状の石が設置されています。
田畑の中にあった巨石を移設し、駐車場公園としたとのこと。

最後の研修地は、日新尋常小学校跡を見学。
墓標のように立つ、「日新小学校跡」と標された柱のような木が、
その跡地を示すのみで、辺りは自然に戻ろうとしていました。

十勝岳の爆発による逆境を克服したっからこそ、今日の上富良野町があるということを感じさせる研修旅行でした。

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【案内人ブログ】No.4(2017年7月)

山崎健一さん(三浦文学案内人)
山崎健一さん(三浦文学案内人)

 

 

「続氷点」の燃える流氷について

2017年7月5日 三浦文学案内人山崎健一

私はある用事があって網走に行くことになった。網走に行き、この際三浦綾子さんの小説「続氷点」の終章「燃える流氷」についてよく知りたいと思った。

たしか、綾子さんと夫の光世さんは、網走に流氷がやってくる時期を見はからって、取材旅行に行ったはずだ。市の観光課に電話し、流氷がやってきたのを確認し、昭和45年4月4日に夫妻は旭川駅から汽車で4時間余かけ、午後2時すぎ網走に到着。早速海岸にタクシーで駆けつけ、くもった空の下に、流氷が幾重にも海岸から沖の方へと連なっていたのを瞠目した。ホテルに着いたあとも、窓にしがみつくようにして流氷を眺めつづけていたとある。*1

流氷は本当に燃えるのだろうか。私は車を走らせ、綾子さん夫妻が探った所をまわってみようと思った。

まず、天都山のオホーツク流氷館に行き、展示室の流氷の部屋で流氷体験をし、展望台からオホーツク海、濤沸湖、斜里岳や知床連山の絶景を眺めた。

次に行った市立図書館では、流氷に関する本を数冊紹介された。資料室には、燃える流氷に関する資料はなく、学芸員がいる紋別市の流氷科学センターを紹介された。

網走駅前の道を海岸に向かって行くと、道の駅「流氷街道 網走」があり、その中に観光案内所があった。

案内人の女性が、パソコンのホームページを開いて、燃える流氷の写真をコピーしてくれた。そして、海岸線に接岸する流氷が見える高台の台町に向かう道筋を教えてくれた。もちろん6月の今は、流氷は見えないが、

私は網走市内案内図を見ながら、高台から広大なオホーツク海を見て台町から下り、能取岬方面に向かった。綾子さんと光世さんが泊まったというオホーツク水族館の隣りの海が見える宿は「渚亭」と言ったが、今はもう閉館になった水族館と共になくなっていた。私は渚亭のあった場所の前の砂浜に出てオホーツク海をみた。

その後、海岸に沿った道を、北浜、濤沸湖の方にオホーツク海、知床連山や斜里岳を見ながら車を走らせた。この海岸沿いの道は幼い子を連れた夫婦や若いカップルなどの車が行き交っていた。斜里岳は恋人の北原が陽子に語って聞かせた、母の眠るふるさとの千島を望んで北原が何度も登ったという山である。

陽子は、北原の、「網走の流氷でも一人で見にいっていらっしゃい、自然の厳しさと対決したら、感傷なんか吹っ飛びますよ」という言葉に後押しされて、網走に来たのだった。

さらに小説「続氷点」は、次のように描いている。

〈流氷の上の空が、ひとところばら色にあかねしている。陽子はじっと目を向けていた。ゴメが2、3羽、氷原に触れんばかりに低く飛んで行く〉

〈雲のひととこをばら色にそめていた淡いあかねもいつしか消えた。と、光が一筋、流氷の原に投げかけられた。サモンピンクの細い帯が、氷原を染めた。夕光は、宿の裏山のほうからさしているようだった。

ゴメの数がふえてきた。猫に似た鳴声を立てながら、宿の右手双子岩のあたりに群れている。サモンピンクの光は間もなく消えた。再び蒼ざめた流氷が、目の前にあった。流氷の色が、次第に灰色に変わって行く。

この灰色一色の氷原が、人生の真の姿かも知れない。そう思って、陽子は椅子から立ち上がろうとした。すると再び、すうっとサモンピンクの光が、流氷の原を一筋淡く染めた。

次の瞬間だった。突如、ぽとりと血を滴らせたような真紅に流氷の一点が滲んだ。あるいは、氷原の底から、真紅の血が滲み出たといってよかった。それは、あまりにも思いがけない情景だった。

誰が、流氷が真紅に染まると想像し得たであろう〉

〈やがて、その紅の色は、ぽとり、ぽとりと、サモンピンクに染められた氷原の上に、右から左へと同じ間隔を置いてふえて行く。と、その血にも似た紅が、火焔のようにめらめらと燃えはじめた。

(流氷が!流氷が燃える!)

人間の意表をつく自然の姿に、陽子は目を見はらずにはいられなかった。墓原のように蒼ざめた氷原が、野火のように燃え立とうとは)

〈流氷が燃えるのを見た時、陽子の内部にも、突如、燃える流氷に呼応するような変化が起こった〉そして陽子は、

〈自分がこの世で最も罪深いと心から感じた時、ふしぎな安らかさを与えられ〉〈おかあさん!ごめんなさいと呼びかけるような思い〉になった。

*2

 

光世さんは、

「ラストの流氷が血の滴りのようになったり、焔のようにゆらめく情景は、確かに容易に信じ難い事象ではあったが、私たち二人でまちがいなく目撃した事実である」

という。

*1

 

私は、図書館で紹介された、菊地慶一さんの著書「流氷」を読んでみた。網走に住いを定めて流氷観察をしてきた菊地慶一さんは、蜃気楼やお化け水という幻氷は見たが、燃える流氷に遭遇したことはないと書いている。

*3

また、私が今回訪ねたところは、どこでも、燃える流氷を目撃したという話は聞かなかった。本当に流氷が燃えるのだろうか。容易には信じがたい事象ではあるが、綾子さんと光世さんはおよそ1週間をかけて取材をしている。その時間だけを比べても、数時間だけの私が見聞きして得たものはあまりに少ない。

綾子さん光世さんご夫妻の取材から既に40年以上経った今、当時あったものが変わったりなくなったり、また地球の温暖化が進み海が凍るのが年々遅くなり将来オホーツク海の流氷が消滅するかもしれないと言われたりもしているが、ここは「流氷が燃えるかどうか」早急に結論を出さずにじっくり見ていくべきであろうか。

 

1 三浦光世「三浦綾子創作秘話」(「続氷点-人間にとっての「ゆるし」とは」小学館文庫

2 三浦綾子「続氷点(下)」(角川文庫)

主人公 辻口陽子 北原邦雄 陽子の恋人

3 菊地慶一「流氷 白いオホーツクからの伝言」(2004年 響文社)

蜃気楼・幻氷は光の異常屈折現象である。

「退去した流氷が沖合の海上で溶けはじめ、海の表面を冷たい水がおおう。ところが陸上付近は気温が上がる。すると海上にだけ冷たい空気のかたまりができレンズ状になる。そこに光が異常に屈折して、沖合にある流氷を大きく変形させて見せる。今では蜃気楼といわず、幻氷と呼ばれるようになった」という。

 

 

 

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【案内人ブログ】No.3(2017年6月)

案内人の近藤さん
案内人の近藤さん

ブログ第3号担当の近藤弘子です。
今回はミニシアターを紹介します。

今年の4月から来年の3月までは、毎月の第3金曜コンサートから続く土曜日日曜日
に、11時と14時の2回、計51回の公演があります。
文学館職員が解説し、朗読は、朗読友の会「綾の会」のメンバーと、三浦文学案内人がタッグを組み、
そして、画像、音楽………と、中央ホールで ライブ案内&朗読が行われるのです!

5月21日(日)は、案内人の森さんが男性、私が女性の朗読部分を担当しましたが、お客様から、

「本を読むだけと違って、いいですね」

と、嬉しい感想!

また、

「息がピッタリ。ご夫婦ですか?」

とのお言葉も。
(森さんの奥様、ごめんなさい m(^^;)m )

私は朗読の経験がないので、口を大きく開け、大きな声で、気分は舞台女優(?!)になったつもりでしています。
朗読担当が大勢いますので、人によって印象も違い、新鮮だと思います。

『道ありき』『泥流地帯』『塩狩峠』『細川ガラシャ夫人』と、人気の作品ばかりです。上映時間は、各およそ30分。
入館料のみで観ることができます!!!

ミニシアター・2017年6月公演
ミニシアター・2017年6月公演
ミニシアター2017 予定表
ミニシアター2017 予定表

ミニシアター2017 予定表のPDFファイルは、こちらからどうぞ。

旭川の6月7月は、本当にさわやかです。
ツルアジサイ等のお花も見ることができます。
ですので、私のおススメは………

  1. 天気が良ければ見本林を探索。
  2. 1回目のミニシアター
  3. 館内をゆっくり鑑賞。(朗読していた案内人の案内がつく場合も?!)
  4. 喫茶でピザとコーヒーで一服。(楽しいおしゃべり付き)
  5. 2回目のミニシアター

「三浦綾子記念文学館 満喫コース」いかがでしょうか?
綾子さんの作品を、まだ読んだことのない方に
「ぜひ!!」観ていただきたいと思っております。

ミニシアター
ミニシアター
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見本林の花ごよみ(2017年6月7日)

見本林のツルアジサイ、少しずつ、少しずつ開き始めました。

ツルアジサイ(旭川・外国樹種見本林)
ツルアジサイ(旭川・外国樹種見本林)

先日ご紹介した、紫と白のオダマキに加えて、赤紫(えんじ?)のオダマキも開花。

オダマキの花(旭川・外国樹種見本林)
オダマキの花(旭川・外国樹種見本林)

素敵ですね。

昨日は見本林の道に木材チップ敷もおこなわれ、歩きやすくなりました。

見本林の写真を撮っておられる方、ぜひ見せていただけないでしょうか。このブログでご紹介できればと思います。

余談ですが、先日、館長室で打ち合わせをしておりましたら、窓の外をキタキツネがゆっくり歩いていきました。普段はエゾリスの姿がほとんどで、キツネは珍しいですね。餌探しだったのでしょうか。

では、また。(難波真実)

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見本林の花ごよみ(2017年6月2日)

見本林で、おだまきの花が咲き始めました。

おだまきの花(旭川・外国樹種見本林)
おだまきの花(旭川・外国樹種見本林)
おだまきの花(旭川・外国樹種見本林)
おだまきの花(旭川・外国樹種見本林)

三浦綾子も愛した花で、文学館のボランティアの会の名前にも使われています。

つるあじさいは、ぽつぽつと開き始めました。まもなくですね。

つるあじさい(旭川・外国樹種見本林)
つるあじさい(旭川・外国樹種見本林)

木々や花々が美しい見本林へ、ぜひいらしてください。

2017.6.2 (難波真実)

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