【案内人ブログ】No.29(2019年8月)

三浦綾子記念文学館の環境整備を慶ぶ

昨年春に1階展示室のリニューアルが完成し、秋に分館が開館したことに続き、今年は喫茶室の前にウッドデッキが造られ野外喫茶がオープンした。また昨年、旭川駅からの「氷点橋」「氷点通り」に続き「三浦綾子文学の道」が整備され、文学館へと至るアプローチが一新されたことも記憶に新しい。
ところで、最近になり「北彩都あさひかわ」の中でも重要な大池の前に森山病院のウェルネスセンターが建設されようとしていることや、コーチャンフォー旭川店の隣に北海道スバルが本社を移転させるなど、これまでスカスカの状態だった北彩都のあたりがにわかに活性化してきていることに、皆さんお気づきだろうか。実は文学館の環境整備が進んでいることと、北彩都に新たな動きが生じていることは決して無関係ではないのである。
北彩都の関係者は知っておられると思うが、北彩都のアーバンデザインは何のためのものだったか。忠別川の雄大な自然と都市の賑わいが融合した空間形成こそが、新たな旭川の魅力になり、新たな活力を呼び込むと信じてやってきたということである。
だからこそ、開館20年を迎えて新たな事業を次々と立ち上げる文学館の動きは、2、3年前まで動きの鈍かった北彩都の土地利用に好影響を与えたのではないだろうか。私が聞く限りでは、旭川の人々は平成22年(2010年)に第一次開業となった新しい旭川駅舎を決して良く言わない。しかしながら、むしろ旭川の外からやって来た人の方が正しいことを言っていると指摘をしておこうと思う。旭川駅を設計した内藤廣氏は、『北のセントラル・ステーション』の中で次のように述べている。
「手前味噌になるが、これだけ規模が大きな駅で、ここまでの建築的な空間密度をもった駅舎は世界的に見ても例がないと思う。鉄道という新しい交通手段に未来を託した時代の駅舎、ロンドンのセント・パンクラス駅以来の空間ではないかと思っている。こちらは、街としても共に歩む21世紀の新しい駅舎の姿である。」
旭川が帯広より何十年も遅れてただ高架駅を造ったと思うことは、とんでもない話なのである。それでは何が可能にさせたのだろうか。内藤氏はさらに次のように述べている。
「20年にわたる設計から建設に至るプロセスを一人の建築家が一貫した姿勢で貫き通すことは至難の業である。これを可能にしたのは、それぞれのプロセスで意思決定をしていく委員会が同じメンバーで最初から最後まで継続されたからだ。学識経験者として臨んだ篠原修(土木)と大矢二郎(建築)、委員会をおぜん立てし協力に推進した加藤源(都市計画)、彼らの一貫した姿勢がこのプロジェクトを力強い筋の通ったものにした。具体的な巨大プロジェクトで、こうした建築・都市・土木の連携は、全国的に見ても例がない。この仕組みに支えられて、駅舎は旭川の未来の文化を胚胎する密度の高い空間をえることができた。(『北のセントラル・ステーション』より)」
大矢二郎氏は、今年から文学館副館長に就任した。

文学館は外国樹種見本林の中にある。この見本林の存在は、文学館の魅力をさらに引き立てていると言ってもよい。昨年秋、文学館と見本林が「北海道遺産」に認定された。そこにオープンカフェを造るということは、新たなお客様を獲得することにつながるのではないかと期待するものである。
旭川について予備知識のない人が、もし旭川に初めて来たとすれば、感じるのは「川沿いがなんかすごいぞ」「駅と高架橋が凝っているな」ということではないだろうか。「まちは誰が作っているのか」など、ほとんどの人は気にしていない。しかしこのまちは本当に多くの人の合作であり、他に例を見ないほど関係者の労力をつぎこんでここまで来た。
大矢副館長は前述の『北のセントラル・ステーション』で次のように語る。
「橋はまた、その上を通行する歩行者や運転者に河川空間を見晴らす視点場を提供する。2011年(平成23年)秋、約半世紀ぶりに忠別川を溯上する鮭が確認された。石狩川水系の水質向上と整備が2年前に放流した稚魚を回帰させたのだ。翌年以降も溯上は続いており、時節になると橋の上から魚群を眺める市民が増えている。忠別川は市民の日常生活と密着した親しみ深い空間に変貌した。」
そのことを、私達も一緒に喜びたいと思うのである。

by 三浦文学案内人 三浦隆一

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